P40 東京国立博物館蔵
(読み)
八 月 朔 日 天 氣風 アリ高 尾九 兵衛画の
はちがつついたちてんきかぜありたかおきゅうべええの
謝 金 持参 主 人 よりも餞 別 宝 金 を贈
しゃきんじさんしゅじんよりもせんべつほうきんをおくる
明日出 立 して神 戸へ至 らんと春
あすしゅったつしてかんべへいたらんとす
二 日天 氣ニて亀六 と同 道 して四時ころ
ふつかてんきにてきろくとどうどうしてよじごろ
行 着ク夫 より城 内 へ入 本 田侯 尓まミ由
ゆきつくそれよりじょうないへはいりほんだこうにまみゆ
涼 しき所 とて隅(スミ)屋くらへ登 リ画四五枚
すずしきところとて すみ やぐらへのぼりえしごまい
席 画程 なく旅 宿 ヘ帰 リ其 夜亦 大 雨
せきがほどなくたびやどへかえりそのよまたおおあめ
三 日曇 リ折 々 雨 四時より亦 城 内 ニ参 絹
みっかくもりおりおりあめよじよりまたじょうないにまいるきぬ
地画六 枚 紙 五六 枚 扇 七 八 本 認 メ八 時過
じえろくまいかみごろくまいおおぎしちはちほんしたためはちじすぎ
神 戸を出 立 春程 なく白 子観 音 尓参 詣
かんべをしゅったつすほどなくしらこかんのんにさんけい
(大意)
略
(補足)
「八月朔日」、天明8年八月朔日。1788年8月31日。
「神戸」(かんべ)、「本田侯(地図では本多)」、神戸藩一万五千石の藩主。天明8年は8月16日まで在藩であった。日永・神戸・白子の地図。
「白子観音」、寺町家(白子村のすぐ下にある)に現存する。
「隅(スミ)屋くら」、角櫓。一番左にあるのが角櫓だとおもいます。
二日三日と日をまたいで、お殿様に随分な量の画などを描いています。
神戸へ着いてすぐに城内へすんなり入ってように記されていますが、いきなり殿様に「まみゆ」というのも、ありえないはなしで、そのへんの仕組みはどのようになっているのか、興味のあるところであります。
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