2025年2月7日金曜日

江漢西遊日記二 その38

P46 東京国立博物館蔵

P47

(読み)

お出 などとてかえ里个る月 仙 待 か年サイ\/

おいでなどとてかえりけるげっせんまちかねさいさい


迎  の人 をよこし其 夜兎角 月 仙 話 シを

むかえのひとをよこしそのよとかくげっせんはなしを


してさかなもなき酒 を出し漸  ク五更 過 ニ

してさかなもなきさけをだしようやくごこうすぎに


寝る明日ハ何 分 蝋油画(ロウユクワ)を能そ武とありけ連

ねるあすはなにぶん    ろうゆ が をのぞむとありけれ

 

ハ明  朝  二 見 浦 を見 物 して亦 爰 ニ返 ルべし

ばみょうちょうふたみがうらをけんぶつしてまたここにかえるべし


と申  置 个る[ダシヌケニ出  立 しけ連ハ月 仙 甚  多腹 を立チけるとぞ]

ともうしおきける だしぬけにしゅったつしければげっせんはなはだはらをたちけるとぞ


六 日寂  照  寺を出て二 見 浦 尓行ク尓山 尓

むいかじゃくしょうじをでてふたみがうらにゆくにやまに


入 半 路過 て川 あり渡 ツて程 なく二 見尓

いりはんろすぎてかわありわたってほどなくふたみに


至 ル其 路 茶 やニより中  喰 春座しき袋

いたるそのみちちゃやによりちゅうじきすざしきふくろ


戸月 僊 の画なり戯   尓一 句を書 ス一 水

どげっせんのえなりたわむれにいっくをしょすいっすい

P47

二 見ガ浦

ふたみがうら


向 フ嶋 ニハ

むかうしまには


鳥羽浦 也

とばうらなり

(大意)

(補足)

「迎」のくずし字は「卩」が右にくるのではなく下にきます。

「五更」、『ごこう ―かう【五更】

① 一夜を5等分した,初更(一更)・二更・三更・四更・五更の総称。また,一夜。一晩中。五夜。「睡らずして騰騰として―を送る」〈菅家文草〉 →更(こう)

②  →1の第五。また,寅(とら)の刻。戊夜(ぼや)』、午前4時頃。

 酒は出すものの、さかなもなく、明け方近くまではなしの相手をさせられ睡眠不足の上、蝋油画を教えてくれとしつこく頼まれ、江漢さんたまらずダシヌケニ出立してしまいました。月僊が甚だ腹を立てていたとあとで聞いて、気分はスッキリしたようです。

「六日」、天明8年八月六日。1788年9月5日。

「二見浦」、古地図と現在の地図。それほどおおきく地形はかわってなさそうです。 

 月僊の顔はもう見たくないとあわてて出立したものの、昼飯に立ち寄った茶屋の袋戸にその月僊の画があって、ガックリ。

 月僊も江漢も当時それなりの有名人でありました。後世の人々はとかく持ち上げて神格化したり、逆に見下げたりといろいろな思惑でその人となりを伝えてきてしまっています。しかし、ここのように江漢がふたりのやりとりを、かきわったように生き生きと抜き出して記しているのは、とても貴重なことであるとおもいます。

 

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