2025年2月10日月曜日

江漢西遊日記二 その41

P51 東京国立博物館蔵

(読み)

七 日天 氣筥(トハ)より舟 ニ能里小嶋 数 々 能間

なのかてんき  とば よりふねにのりこじまかずかずのあいだ


を乗る尓景色 妙 也 飛 嶋 右 ニ見て左

をのるにけしきたえなりとびしまみぎにみてひだり


尓浅 間山 を望 ミ二里程 も走 リ二 見能岩

にあさまやまをのぞみにりほどもはしりふたみのいわ


を左  ニ見夫 より一 里程 過 て三 軒 屋と

をひだりにみそれよりいちりほどすぎてさんげんやと


云フ処  尓入 内 川 なり爰 ニて風 少  々  吹 出春

いうところにいるうちかわなりここにてかぜしょうしょうふきだす


沖 ニて風 出ルと甚  タ武川かしき処  なりと三

おきにてかぜでるとはなはだむずかしきところなりとさん


軒 屋と云 処  を五六 町  過 て川 﨑 なり爰 ヨリ

げんやというところをごろくちょうすぎてかわさきなりここより


宮 川 能渡 シへ一 里さて山 田ハ裏 \/まで

みやかわのわたしへいちりさてやまだはうらうらまで


草 婦きなし皆 瓦屋(カワラヤ)なり川 を渡 リて

くさぶきなしみな   かわらや なりかわをわたりて


一 里行キて昼  喰 春亦 一 里半 過 て金剛(コンコウ)

いちりゆきてちゅうじきすまたいちりはんすぎて   こんごう

(大意)

(補足)

「七日」、天明8年八月七日。1788年9月6日。

「筥」、笘(とま『①ふだ。 文字を書くふだ。 箋(セン) ②むち。 竹のむち』)の音をあてて鳥羽。前頁でも鳥羽の部分を白塗り(胡粉か?絵師なので手元にはいつもある)して修正してますが、鳥羽の漢字を思い出せなかったわけでもないでしょうに。

「浅間山」、朝熊(あさま)山。この古地図の底辺中央左寄りに朝熊獄(あさまだけ)があります。

「川﨑」、赤丸が河崎。この地図でも江漢がたどった航路や渡しを確認できます。

そして金剛坂は赤丸のところ。 

次頁に出てくる櫛田川が金剛坂のすぐ先に、さらにその先は松坂なり。


 

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