2025年11月29日土曜日

江漢西遊日記六 その57

P67 東京国立博物館蔵

(読み)

初 まりと云 時 役 者 皆 頭  を下ケル日暮 ニ芝

はじまりというときやくしゃみなあたまをさげるひぐれにしば


居終 りて兵  庫屋と云 茶 やニ行キ喰  事して

いおわりてひょうごやというちゃやにゆきしょくじして


帰 ル

かえる


廿   三 日 曇  朝 右 能両  人 参 ル四ツ時 前 十  一 屋案(アン)

にじゅうさんにちくもりあさみぎのりょうにんまいるよつどきまえじゅういちや  あん


内 して天神(ナニハ)橋 を渡 り池 田路即  チ池 田ニ

ないして   なにわ ばしをわたりいけだじすなわちいけだに


至 ル池 田河 流 レて酒 造 家三 十 軒 程 アリ

いたるいけだがわながれてしゅぞうかさんじっけんほどあり


伊丹 ニハ百  余軒 アリ池 田の名 酒 ハ満 願 寺

いたみにはひゃくよけんありいけだのめいしゅはまんがんじ


なり爰 ニてハ其 酒 を不賣 伊丹 ハケンビシ

なりここにてはそのさけをうらずいたみはけんびし


綿(モメン)屋七 ツ星 なり爰 を過 て多田と云 処  ニ

  もめん やななつぼしなりここをすぎてただというところに


至 ル多田の宮 アリ亦 温 泉 アリ中 野屋

いたるただのみやありまたおんせんありなかのや

(大意)

(補足)

「廿三日」、寛政1年2月23日 1789年3月18日。

「池田」、「多田」、「多田の宮」、 

 赤印が多田、その西に多田神社があり、南に下ったところが池田。

 

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