P45 東京国立博物館蔵
(読み)
喰 事して酒 能肴 さし身を出タ春其 切 身
しょくじしてさけのさかなさしみをいだすそのきりみ
歯尓当 りてゴリ\/と云フさし身能氷 り多るなり
はにあたりてごりごりというさしみのこおりたるなり
当 春 へ可けて能寒 サ四十 年 此 方 能寒 氣
とうしゅんへかけてのさむさしじゅうねんこのかたのかんき
と申 事 なりとぞ江戸ハ此 様 尓なしと又 火事
ともうすことなりとぞえどはこのようになしとまたかじ
もあまり大 火ハなしと申 参 り候 主 人 話 シなり
もあまりたいかはなしともうしまいりそうろうしゅじんはなしなり
㐂左衛門 親 ハ七 十 ニ近 キ人 ニて至 て好 事家
きざえもんおやはしちじゅうにちかきひとにていたってこうずか
なり夜 四 時 過キ迄 話 し津き春゛
なりよるよつどきすぎまではなしつきず
廿 六 日 寒 風 後 雪 となる寒 ニ当 里多るや
にじゅうろくにちかんぷうのちゆきとなるかんにあたりたるや
氣分 不勝 画二三 紙認 メ昼 喰 尓白 魚 を
きぶんすぐれずえにさんししたためひるめしにしらうおを
平皿(サラ)尓盛り出春一 升 三 匁 と云フ
ひら さら にもりだすいっしょうさんもんという
(大意)
略
(補足)
「当春へ可けて能寒サ四十年此方能寒氣」、やはり1789年前後数十年は異常気象であったようで、この日記の随所にその様子が記されています。
「夜四時過キ迄」、夜10時すぎ。「過」と「迄」のくずし字の違いに注意です。
「廿六日」、天明9年1月26日。1789年2月20日
「一升三匁」、岡山は白魚の産地で、簡単に非常にたくさんとれたそうです。その値段でしょう。

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