P42 東京国立博物館蔵
(読み)
と聞 个連ハ婦なまん中(チ ウ)なりと云 此 舩 へ
とききければふなまん じゅう なりというこのふねへ
呼フ尓二百 文 なりと或 ハ畏(ヲソ)ル同 郷 ならん
よぶににひゃくもんなりとあるいは おそ るどうきょうならん
能詩あり和漢 同 し事 也 扨 々 珍(メツラ)しき事
のしありわかんおなじことなりさてさて めずら しきこと
かなとて一 眠 して夜明 多り
かなとてひとねむりしてよあけたり
廿 一 日 曇 て風 アリ舩 走 ル事 早(ハヤ)シ忽 チ上 関
にじゅういちにちくもりてかぜありふねはしること はや したちまちかみのせき
能沖 を乗り三 十 五里走 ルヌワと云 嶋 ニ掛
のおきをのりさんじゅうごりはしるぬわというしまにかかる
廿 二日 天 西 風 夜半 舩 を出して藝 州 の内
にじゅうににちはれにしかぜやはんふねをだしてげいしゅうのうち
ミタライと云 処 を見て走 里備 後能鞆(トモ)と
みたらいというところをみてはしりびんごの とも と
云フ処 ニ泊 ス舩 頭 爰 ヘ碇(イカリ)を頼 ム故 舩 よりあ可゛る
いうところにはくすせんどうここへ いかり をたのむゆえふねよりあが る
予(ワレ)も共 尓小舟 尓能里上(アカル)爰 ハ福 山 能領 地ニテ
われ もともにこぶねにのり あがる ここはふくやまのりょうちにて
(大意)
略
(補足)
「婦なまん中(チウ)」、『ふなまんじゅう ―まんぢゆう【船饅頭】
近世,江戸隅田川に浮かべた小舟の中で色を売った私娼。船君』、と辞書にはありましたが、日本津々浦々どこにでもあったようです。
「或ハ畏(ヲソ)ル同郷ならん」、この詩のようです。
「廿一日」、天明9年1月21日。1789年2月15日
「上関(かみのせき)」「怒和(ぬわ)」、たった1日で35里(約140km)。そして翌日、西風で一気に福山へ。船は今の新幹線でした。
「ミタライ」、御手洗(みたらい)は、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島(広島県呉市)の港町。
来るときは今津(福山と尾道の中間辺り)に9月15日に泊り、そこから下関に10月2日についています。17日かかったのがわずか2日!



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