2025年11月1日土曜日

江漢西遊日記六 その29

P39 東京国立博物館蔵

(読み)

平 家一 代 の盛衰(セイスイ)合 戦 の始終  を圖(ヅ)セリ

へいけいちだいの   せいすい かっせんのしじゅうを  ず せり


是 ハ土佐光 信 の筆 又 後 ロ能山 上 ニハ

これはとさみつのぶのふでまたうしろのやまうえには


壇(タン)の浦 ニて入 水 し多る人 々 能墳 墓アリ

  だん のうらにてじゅすいしたるひとびとのふんぼあり


宝 物 ハ土 御門 の院 幷  ニ後奈良能院

ほうもつはつちみかどのいんならびにごならのいん


正親 町 の院 右 の論 旨五通 鎌 倉 能

おおぎまちのいんみぎのりんじごつうかまくらの


御教  書 二十  三 通 尊 氏 能花押 御教

みぎょうしょにじゅうさんつうたかうじのかおうみぎょう


書 二通 太 閤 秀 吉 能短 冊 吉 田卜 部

しょにつうたいこうひでよしのたんざくよしだうらべ


家證  文 大 家代 々 毛 利吉 川 小早 川

けしょうもんたいかだいだいもうりきっかわこばやかわ


数 人 の書 十  余通 古筆 能平 家物 語

すうにんのしょじゅうよつうこひつのへいけものがたり


十  二巻 是 ハ筆 者 数 人 なり皆 長 門本 ニて

じゅうにかんこれはひっしゃすうにんなりみなながとぼんにて

(大意)

(補足)

「土佐光信」、『とさみつのぶ 【土佐光信】

室町中期の大和絵画家。宮廷の絵所預りとして活躍,幕府の御用絵師となり土佐派の画壇的地位を確立。多くの寺社縁起類や肖像画を描く。作「星光寺縁起」「足利義政像」など。生没年未詳』

「論旨」、『りんじ【綸旨】〔「りんし」とも。綸言(りんげん【綸言】天子・天皇のことば。みことのり。〔「礼記緇衣」による。「綸」は組糸。天子の言は発せられた時は糸のように細いが,これが下に達した時は組糸のように太くなる意〕)の旨の意〕

① 天皇の意を体して蔵人(くろうど)や側近が発行する奉書形式の文書。平安中期から南北朝時代に多く発行された』

「吉田卜部」、『主に「吉田兼倶」と「吉田兼好」を指し、吉田姓と卜部氏の姓が関係しています。吉田兼倶は「吉田神道」を創始した室町時代の神道家であり、卜部氏を家名とした吉田家の始祖とされる人物です。一方、吉田兼好は『徒然草』の著者で、本名は「卜部兼好」です』とAIの概要にありました。

「長門本」、『赤間神宮・宝物殿。重要文化財として室町時代に制作された「長門本 平家物語」20冊が左右に展示されている。これは阿弥陀寺本ともいい、昭和20(1945)年7月の空襲で周囲を焼失。戦後の文化財修復第1号として昭和25(1950)年に修復完了したものである』

 江漢さんが見学したものは、現在は赤間神宮宝物殿にあるようです。

日本はほぼ全土が空襲されています。いったいどれだけの文化財が焼かれてしまったことでしょうか。かくいう日本もアジアの古物を焼き払い壊しまくったのでありますが。

 

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