P55 東京国立博物館蔵
(読み)
新 太郎 少 将 熊 沢 と謀(ハカツ)て寺 \/を破却(ハキヤク)
しんたろうしょうしょうくまさわと はかっ ててらてらを はきゃく
春と云フ今 ハ如舊(モト)となれ里玉 嶋 在 の人 云
すといういまはもとのごとしとなれりたましまざいのひという
玉 嶋 ハ舩着(ツキ)ニて頗 ル好 事能人 あり何ンと
たましまはふな つき にてすこぶるこうずのひとありなんと
我 等と一 所 尓玉 し満へお出 と申 あと戻 り
われらといっしょにたましまへおいでともうすあともどり
なり不行 兎角 長 旅 して吾 宿 ニ妻 子アレ
なりゆかずとかくながたびしてわれやどにさいしあれ
ハ帰 り度 思 フ人 ハ出 家ニなるべし吾 も出 家
ばかえりたくおもうひとはしゅっけになるべしわれもしゅっけ
ならハ何ン十 年 も玉 嶋 ハおろ可何 ク迄 も死
ならばなんじゅうねんもたましまはおろかいずくまでもし
まて遊 歴 せんニ残 念 なる事 也 尾州 能人
までゆうれきせんにざんねんなることなりびしゅうのひと
とて泰 清 院 と云フ寺 ニて逢フ吾カ名ヲ聞
とてせいたいいんというてらにてあうわがなをきき
甚 タ懼(ヲソ)ル何(イツ)方 へ行キても吾カ名ヲ不知 者
はなはだ おそ る いず かたへゆきてもわがなをしらずもの
(大意)
略
(補足)
「舊」、旧の旧字体。
「玉嶋」、倉敷の西側、川向う。
「泰清院」、清泰院(せいたいいん)のまちがいと参考書にはありました。清泰院(せいたいいん)は備前岡山藩主池田忠継・忠雄の菩提寺。
「吾カ名ヲ不知者」、次頁に「鮮(スクナ)し」と続きます。
ほんとにこの江漢さんって、自尊心旺盛目立ちたがりやで、外面だけでなく心の内でも、満足しきって、よしよしとうなずいているでしょうねぇ。
自分が出家していれば、何十年も津々浦々どこまでも遊歴するだろうナンテこと言ってますけど、無理ですって(カッコつけているだけです)、すぐにホームシックになってしまうのに・・・

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