2025年11月20日木曜日

江漢西遊日記六 その48

P58 東京国立博物館蔵

(読み)

十  四 日曇  北 風 さ武し三ツ石 を明 七 ツ時 尓

じゅうよっかくもりきたかぜさむしみついしをあけななつどきに


出  立 して有年(ウネ)迄 三 里山 路 なり漸  く尓して

しゅったつして   うね までさんりやまみちなりようやくにして


夜明 多り有年河 舟 渡 し正  条  より駕

よあけたりうねかわぶねわたししょうじょうよりか


籠ニて姫 路ニ泊  爰 より丹 波へ出テ夫 より

ごにてひめじにとまるここよりたんばへでてそれより


京  へ行ク心  得なれと兎角 故郷  へかえ里度

きょうへゆくこころえなれどとかくこきょうへかえりたし


妻 子ある故 歟夫 故 ニ所  々  行キ残 し多る所  多 シ

さいしあるゆえかそれゆえにところどころゆきのこしたるところおおし


今 更 思 ヘハ残 念 なり姫 路皮 四五枚 買(カフ)

いまさらおもえばざんねんなりひめじかわしこまい  かう


商  人 の云 京  光 代 寺当 月 八 日消  失 と云

しょうにんのいうきょうこうだいじとうげつようかしょうしつという


去 年 能大 火尓焼 残 里多る処  なり

きょねんのたいかにやけのこりたるところなり


十  五日 天 氣無風 五  時 過 尓出  立 して表

じゅうごにちてんきむふういつつどきすぎにしゅったつしておもて

(大意)

(補足)

「十四日」、寛政1年2月14日 1789年3月10日。

「明七ツ時」、夜明け前4時。真冬の4時に出立するなんて、よほど先を急ぎたいのでね。

「三ツ石」「有年(ウネ」、現在の地図です。右側の竜野の河よりが正条(しょうじょう)。 

「正条」、「姫路」、右端にお城の絵があって、そこが姫路。左側の揖保川の左に正条村。

「姫路皮」、『姫路はわが国の皮革のふるさととして著名である』とあって、わたしはまったく知りませんでした。

「光代寺」、高台寺。実際は「2月9日、高台寺で火災が発生し小方丈や庫裏などが焼失した」とあります。消失してからまだ5日しかたってないのに、もう姫路まで届いてます。

「去年能大火」、『天明8(1788)年正月30日におきた,京都の歴史上最大の火災』。

 江漢さん、再三「兎角故郷へかえ里度妻子ある故歟」とこぼしていますが、そんなことはなく、普段の江戸の生活が恋しいだけだとおもいます。

 

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