P53 東京国立博物館蔵
(読み)
八ツ時 過 尓なる宿 能主 人 料 理人 二 人ニ
やつどきすぎになるやどのしゅじんりょうりにんふたりに
て町 ハツレ迄て送 ル爰 より二里宮 内 ヘ出テ
てまちはずれまでおくるここよりにりみやうちへでて
往 来 なり亦 二里行 て岡 山 石 関 町 着
おうらいなりまたにりゆきておかやまいしせきちょうちゃく
林 氏尓至 ル親 七 郎 治倅 㐂左衛門 出て
はやししにいたるおやしちろうじせがれきざえもんでて
能ク\/御帰 リ此 間 中 指 ヲ屈 シ占 などして
よくよくおかえりこのあいだじゅうゆびをくっしうらないなどして
お待 申 とて早 々 喰 事を出し湯ニ入 り亦
おまちもうしとてそうそうしょくじをだしゆにはいりまた
奥 能坐しきへ行キコタツをして當 リな
おくのざしきへゆきこたつをしてあたりな
から父子咄 春寒 氣津よけ連ハ寛(ユル)\/
がらふしはなすかんきつよければ ゆる ゆる
と御滞 畄 あれとさて何 方 ヘ行キても尊
とごたいりゅうあれどさていずかたへゆきてもそん
敬(ケウ)されるも婦しきなる事 かな
けい されるもふしぎなることかな
(大意)
略
(補足)
足守から4里の徒歩で岡山石関町へ、16Kmも歩くなんて、それも寒中です。
どこへ行っても大切にもてなされ尊敬されているようだと、至極満足げな江漢さん、湯につかりながらも、幸せそうです。どうしてそんなに尊敬されるのだろうと、わかっているくせに自尊心をくすぐられて、ニヤニヤ顔が目に浮かびます。

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