P48 東京国立博物館蔵
(読み)
御猟 あり鹿 三 疋 其 肉 を下 さる
ごりょうありしかさんびきそのにくをくださる
二月 朔 日昼 より雨 此 所 ニてハ一ト夜正
にがつついたちひるよりあめこのところにてはひとよしょう
月 とて昨 日 餅 を搗き今朝雑 煮ヲ喰
がつとてさくじつもちをつきけさぞうにをくう
町 家袴 上 下 ニて禮 尓出ル武家ニなし
ちょうかはかまかみしもにてれいにでるぶけになし
昨 日 能鹿 肉 を料 理人 尓申 付 候得ハ 殊(コト)
さくじつのしかにくをりょうりにんにもうしつけそうらえば こと
能外 困 りける爰 ハ吉備津の宮 能氏 子ニて
のほかこまりけるここはきびつのみやのうじこにて
毛者 をきろふ夜 ニ入 雨 益 々 ふる
けものをきらうよるにいりあめますますふる
二 日雨 ヤマス画ヲ認 メル町 家ヘハ家中 能者 コ
ふつかあめやまずえをしたためるちょうかへはかちゅうのものこ
ズ夫 故 徒 然 ニて暮 春
ずそれゆえつれずれにてくらす
三 日天 氣となる暖 色 を催 春柏井(カシイ)と云 処
みっかてんきとなるだんしょくをもよおす かしい というところ
(大意)
略
(補足)
「二月朔日」、寛政1年2月1日 1789年2月25日。天明9年は1月25日までで、翌日1月26日は寛政1年になってました。
「一ト夜正月」、『「一夜正月(いちやしょうがつ)」または「重ね正月(かさねしょうがつ)」は、2月1日を指す言葉で、特に厄年の人が、その年の厄を早くやり過ごすために、仮に一つ歳を重ねるという意味で祝う習慣です。本来の正月である1月1日に対して、2月1日を2度目の元日と見なすことで、年齢を一つ多く数え、厄年を乗り越えようとする風習で、地域によっては「歳重ね(としがさね)」とも呼ばれます』とAIの概要にありました。
「候得ハ」、頻出です。三文字セットでおぼえます。
「毛者」、もちろん獣です。
「吉備津の宮」、吉備津彦神社正面山が左端にあります。
江漢さんは新しもの好きですから、鹿肉だろうがなんだろうがモリモリ食べたはず。獣肉は食べないと言われてますけど、食べる人がまたは常食する人が少なかっただけで、食べていたにきまっています。


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