P44 東京国立博物館蔵
(読み)
行 尓寒 風 骨 をとふ春片 上 ヘ五里岡
ゆくにかんぷうほねをとうすかたかみへごりおか
山 へ七 里何 分 岡 山 ヘ行キ度 三 里能ま王
やまへしちりなにぶんおかやまへゆきたくさんりのまわ
里と云フさていなか路 風 烈 しく風 を防 き
りというさていなかみちかぜはげしくかぜをふせぎ
休 ムべき所 なし誠 尓烈 風 骨 肉 を透(トヲス)とハ
やすむべきところなしまことにれっぷうこつにくを とおす とは
此 事 なり三 里を過 て奥 能郷 と云フ処 ニて
このことなりさんりをすぎておくのごうというところにて
一 軒 家アリ爰 ニて酒 を買 て呑 少 シいきをして
いっけんやありここにてさけをかいてのむすこしいきをして
夫 より走 りて川 あり舟 ニて渡 ル又 大 キなる
それよりはしりてかわありふねにてわたるまたおおきなる
樋 アリ漸 く尓して岡 山 石 関 町 赤穂(アカウ)屋㐂左
おけありようやくにしておかやまいしぜきまち あこう やきざ
衛門 方 へ行く親 子出テ只 今 お帰 りカとて奥 能
えもんかたへゆくおやこでてただいまおかえりかとておくの
離(ハナレ)坐しきへともなゐコタツをして当(アテ)湯ニ入 ル
はなれ ざしきへともないこたつをして あて ゆにはいる
(大意)
略
(補足)
「片上」、画像の右上に赤穂線備前片上の駅があります。
「奥能郷」、邑久。上の画像で赤穂線邑久駅(おくえき)があります。
「岡山石関町」、
「赤穂(アカウ)屋㐂左衛門」、往路の9月9、10日に泊まっている。江漢は後年、喜左衛門に頼まれて洋画を送っています。
江漢さん「いなか路風烈しく風を防き休ムべき所なし誠尓烈風骨肉を透」という真冬の旅路、喜左衛門さん方でこたつ、あたたかい湯でほっとしたようです。



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