P46 東京国立博物館蔵
(読み)
廿 七 日 天 氣寒 サ薄 し備 中 足 守 ハ木 下
にじゅうしちにちてんきさむさうすしびっちゅうあしもりはきのした
侯 の領 地なり爰 より西 ノ方 九月 十 一 日 長
こうのりょうちなりここよりにしのほうくがつじゅういちにちなが
崎 へ参 り可け寄(ヨリ)多る尓領 主 江戸より御帰 りなし
さきへまいりかけ より たるにりょうしゅえどよりおかえりなし
此 節 御着(チヤク)と申 事 故 明日など参 らんと思 フ
このせつお ちゃく ともうすことゆえあすなどまいらんとおもう
廿 八 日 天 氣昼 より曇 ル㐂左衛門 同 道 ニて四
にじゅうはちにちてんきひるよりくもるきざえもんどうどうにてよつ
時 比 石 関 町 を出て行ク事 二里宮 内 と云フ処
どきころいしせきちょうをでてゆくことにりみやうちというところ
アリ遊 女 ある所 茶 屋あり菊 屋と云 揚 屋ナリ
ありゆうじょあるところちゃやありきくやというあげやなり
爰 尓至 り妓二 人呼フ大 坂 風 なり嶋 ちりめん
ここにいたりぎふたりよぶおおさかふうなりしまちりめん
毛(モウ)留(ル)能帯 ニ髪 大 嶋 田木櫛 横 尓さし
もう る のおびにかみおおしまだきぐしよこにさし
竿(コウカヒ)可んざしベツ甲(カウ)也 大 坂 のウタ江戸能サ
こうがい かんざしべっ こう なりおおさかのうたえどのさ
(大意)
略
(補足)
「廿七日」、天明9年1月27日。1789年2月21日
「備中足守」、現在の地図。左上に足守小学校とあります。
「毛(モウ)留(ル)」、モールの当て字だとおもいます。『モール(ポルトガルmogol)
① 〔インドのムガル帝国に由来するという。「莫臥児」とも書く〕緞子(どんす)に似た浮き織りの織物。たて糸に絹糸を,よこ糸に金糸・銀糸・色糸を用いて花紋などを織りだしたもの。金糸を用いたものを金モール,銀糸を用いたものを銀モールという。名物裂(ぎれ)として茶人に愛好された。モール織り。② 金・銀あるいは色糸をからませた飾り撚(よ)りの糸。モール糸。』
「菊屋と云揚屋」で「妓二人呼フ」、微に入り細に入り、どうしても妓二人を入念に観察してしまう絵師としての職人魂、いやはやスキですねぇ〜。



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