P65 東京国立博物館蔵
(読み)
丸 清 と共 尓道 とん堀 ヘ行ク茶 屋竹 庄 ニて
まるせいとともにどうとんぼりへゆくちゃやたけしょうにて
妓 子小梅 其 他 五人 白 人右近(ウコン)甚 タドロン
げいここうめそのほかごにんしろうと うこん はなはだどろん
コとなり夜 八ツ時 過 尓帰 ル
ことなりよるやつどきすぎにかえる
十 九日 長 﨑 の圖を描キ蒹 葭堂 ヘ遣 ス此 日
じゅうくにちながさきのずをかきけんかどうへつかわすこのひ
雪 降 寒 夜ル山 﨑 町 丸 清 ヘ伏 見九 兵衛と同
ゆきふるさむしよるやまざきちょうまるせいへふしみきゅうべえとどう
道 して行 酒 を呑 さかな酢シ豆 腐なり
どうしてゆくさけをのみさかなすしとうふなり
廿 日曇 暖 扇 面 ニ画を数 \/描キ蒹葭(ケンカ)ヨリ
はつかくもりあたたかせんめんにえをかずかずかき けんか より
菓子を贈 昼 比 風呂屋ヘ行ク四ツ時 までかゝ
かしをおくるひるごろふろやへゆくよつどきまでかか
里湯なし流 シ皆石炭(シツクヒ)タゝキ扇 風呂と云
りゆなしながしみな しっくい たたきおおぎふろという
ニハ扇 を彫里戸多゛な婦ろなり
にはおおぎをほりとだ なぶろなり
(大意)
略
(補足)
「白人」、『はくじん【白人】
② 〔「白人(しろうと)」を音読みした語〕
㋐ 近世,上方で,私娼。また,公認の遊里以外の地にいた遊女。しろと。はく。「―芸子の今様めけるは,南北に風情をたたかはす」〈滑稽本・風流志道軒伝〉
㋑ 技芸などに熟達していない人。素人(しろうと)。「京の色里にて手弱き客を―と言へり」〈浮世草子・新吉原常々草〉』。すでに何度かでてきています。
「十九日」、寛政1年2月19日 1789年3月15日。
「風呂屋ヘ行ク」、江戸と大阪の銭湯文化の違いを述べているようで、以下AIの概要です。
『江戸時代の大阪の風呂事情
風呂の形式: 江戸時代の風呂は主に「戸棚風呂」と呼ばれる蒸し風呂の一種でした。浴槽は非常に浅く(膝丈程度)、上半身は湯気で蒸す仕組みでした。入口には「石榴口(ざくろぐち)」という低い仕切りがあり、湯気が逃げるのを防いでいました。
東西の違い: 江戸の銭湯の洗い場が板張りだったのに対し、大坂の銭湯では切り石が敷かれているのが特徴でした。この特徴は戦後の大阪の銭湯にも残っていたほど、根付いた文化でした。』
蒹葭堂へは長崎へ来るときもたちよってしばらく出入りしていましたが、今回もやはり足繁く訪れています。当時の文化人、町人武士をとわず、蒹葭堂に出入りし主人に会うことが、文化人仲間入りのあかしになり、多くの人たちが訪れたようであります。

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