P11 東京国立博物館蔵
(読み)
あり是 を呼フ名ハ玉 川 と云フ産 れハ長 崎 能元(モト)
ありこれをよぶなはたまがわといううまれはながさきの もと
古川町(フルカワマチ)能者 と云 亦 姫 靏 と云 お山 予(ワレ)之(コレ)を
ふるかわまち のものというまたひめつるというおやま われ これ を
愛 春此 所 能上 品 なり各 \/紋(モン)縮 緬 花 色
あいすこのところのじょうひんなりおのおの もん ちりめんはないろ
模様(モヨウ)能小袖 を着(キ)両 婦とも美人(ヒシン)なり
もよう のこそでを き りょうふとも びじん なり
夜半 大 風 雨波 能音。耳 尓聳(ソハダ)ち。掛 り舩
やはんだいふううなみのおとみみに そばだ ち かかりふね
カケ声 して何 ヤラ引(ヒク)。浦(ウラ)邊(ベ)能趣(ヲモム)きなり
かけごえしてなにやら ひく うら べ の おもむ きなり
五 日大 風 雨昼 比 ヤム爰 より亦 舟 尓能里
いつかだいふううひるごろやむここよりまたふねにのり
岩 石 尓ふれる白 波 を見て平 戸浦 尓至 ル
がんせきにふれるしらなみをみてひらどうらにいたる
川 﨑 屋と云 家 ニ参 雑煮(ソウニ)飯 酒 を出 又 之
かわさきやといういえにまいる ぞうに めしさけをだすまたの
助 金 千 五百 疋 画帖 能料 とて千 疋。僕 尓
すけきんせんごひゃくひきがちょうのりょうとてせんひきぼくに
(大意)
略
(補足)
文章全体に、意識的に句点「。」が使われています。
「お山」、『おやま をやま【〈女形〉 ・〈女方〉 ・御山】
〔江戸初期に小山次郎三郎が使った遊女の人形から出た語という。 →おやま人形〕
② (上方で)遊女のこと。「あの上手な絵書殿によい―を十人程書いてもらひ」〈浄瑠璃・傾城反魂香〉』
「聳(ソハダ)ち」、『そばだ・つ【峙つ・聳つ】〔古くは「そばたつ」と清音。稜(そば)立つ,の意〕岩・山などが,ほかよりひときわ高くそびえる。「山ガ―・ツ」〈和英語林集成〉「緑蔭水畔を彩り危巌四岸に―・ち」〈日本風景論•重昂〉〔「そばだてる」に対する自動詞〕』
「五日」、天明9年1月5日。1789年1月30日。
「金千五百疋」、『金には「両」、「分」、「朱」、「疋【ひき】」があり、小判(一両)と一分金が基本貨幣となっていて、それぞれの比率は一両=4分、一分=4朱、一分=金100疋で、これ以外に額面十両の大判は、金相場にあわせて両替する、別途扱いでした』とありますが、「江戸時代の貨幣価値については、場所や時代によってよく変わるのでいくらというのは非常に難しい」ともあります。50疋=1250文で、おおよそ770円~1560円くらいとなる、という換算も。わたし自身は、二八そばのかけそばが16文でしたので、それを基準に換算しています。
江漢さん、「姫靏と云お山予(ワレ)之(コレ)を愛春」、そして「両婦とも美人(ヒシン)なり」と、いたくご満足の様子であります。
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