2025年10月26日日曜日

江漢西遊日記六 その23

P32 東京国立博物館蔵

(読み)

町  とて遊 里アリ是 ハ至  てザット志多る所  也

ちょうとてゆうりありこれはいたってざっとしたるところなり


此 地姪 の濱 より福 岡 まて一 里余  福 岡

このちめいのはまよりふくおかまでいちりあまりふくおか


ヨリ博 多迄 十  八 町  人 家續 キて繁昌(ハンゼ ウ)

よりはかたまでじゅうはっちょうじんかつづきて   はんじょう


能地なり西 ハ海 南  ハ山 なり

のちなりにしはうみみなみはやまなり


十  六 日 天 氣出  立 せんと春老 婦色 \/取

じゅうろくにちてんきしゅったつせんとすろうふいろいろとり


揃 ヘ飯 出須茶 梅 干 外 ニ金 子を添ヘて

そろえめしだすちゃうめぼしほかにきんすをそえて


餞 別 と春五  時 少 シ過 て發 足 し程 なく箱

せんべつとすいつつどきすこしすぎてはっそくしほどなくはこ


崎 八 幡 往 来 なり参 詣 春海 の中 路 見へる

さきはちまんおうらいなりさんけいすうみのなかみちみえる


玄 海 じま鹿 の嶋 なと云 嶋 \/見へ能キ景色

げんかいじましがのしまなどいうしまじまみえよきけしき


夫 より松 原 を通 里昼 比 より雨 降 出して

それよりまつばらをとおりひるごろよりあめふりだして

(大意)

(補足)

「ザット」、大雑把ということですが、現在でも日常的に使われ、この時代でも同じ意味だったのでしょう。古い文献では余り見ません。

「十六日」、天明9年1月16日。1789年2月10日。

「博多迄十八町」、「五時少シ過て」、迄と過の区別に注意。

「鹿の嶋」、志賀嶋。箱崎八幡は赤い印のところ。

 古地図と比べても、ほとんど同じです。右下に箱崎村、箱崎宿があり、すぐそばにある青い屋根が筥崎宮だとおもいます。 

 博多には結局12日から3日間過ごし、16日朝8時頃出立。「玄海じま鹿の嶋なと云嶋\/見へ能キ景色」を楽しみましたが、「昼比より雨降出して」しまいました。

 

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