P35 東京国立博物館蔵
(読み)
いよ\/大 降 となる青柳(アヲヤキ)ニ至 り昼 喰 春コレ迄テ
いよいよおおぶりとなる あおやぎ にいたりちゅうじきすこれまで
四里あり爰 より駕籠ニ能る雨 益 \/津よし
しりありここよりかごにのるあめますますつよし
路 皆 山 坂 畝(ウネ)町 と云フ処 コレ迄 二里あり問(トヒ)ヤニ
みちみなやまさか うね まちというところこれまでにりあり とい やに
参 人 足 を頼 ミ个連ハ最早(モハヤ)七 ツ時 過 なれバ之(コレ)ニ
まいりにんそくをたのみければ もはや ななつどきすぎなれば これ に
お泊 りと云フ雨 ヤマ春゛夫 なら泊 ルべし上(アカ)ル処
おとまりというあめやまず それならとまるべし あが るところ
ありやと云 希れハイザ是 へと云 見ル尓サツ
ありやといいければいざこれへというみるにさっ
者゜里とし多る所 一 間 ありタゝミもよし窓(マド)よ
ぱ りとしたるところいっけんありたたみもよし まど よ
里外 を見れハ漸 く一 重能早梅(ソウバイ)能さか里なり
りそとをみればようやくひとえの そうばい のさかりなり
土瓶(トヒン)尓能キ茶 を入レ茶 ウケ香 能物。味噌
どびん によきちゃをいれちゃうけこうのものみそ
津け。沢庵(タクハン)津け。菜(ナ)つけ。色 \/皿(サラ)ニ盛(モ)り
づけ たくあん づけ な つけ いろいろ さら に も り
(大意)
略
(補足)
「青柳」、「畝町」、赤い細い線が街道。下部左よりに青柳町、右上に畝町村。
「問(トヒ)ヤ」、『といやば とひ―【問屋場】江戸時代,街道の宿駅で人馬の継ぎ立てなど種々の事務を行なった所。伝馬所。とんやば』
「七時過」、午後4時すぎ。「コレ迄テ四里」「コレ迄テ二里」とあって違いに注意。
「サツ者゜里」、変体仮名「者」(ハ)に「゜」(半濁点)がついてます。
隣の頁にその画があります。たしかにいろいろおいしそうな茶うけがのっています。主人は取り箸を右手に持っていますけど、取り皿がみあたりません。手のひらにうけたのでしょうか。


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