2025年10月18日土曜日

江漢西遊日記六 その15

P19 東京国立博物館蔵

(読み)

ヤミけ連爰 を出  立 して見れハ泊  やも一 二

やみけれここをしゅったつしてみればとまりやもいちに


軒 あり夫 より一 里を過 て今 福 と云 処  ニ

けんありそれよりいちりをすぎていまふくというところに


至 り七 ツ時 過 尓今 利と云 宿 ニ泊 ル問 屋をベットフ

いたりななつどきすぎにいまりというやどにとまるとんやをべっとう


と云 旅 人 宿 一 向 尓なし巡  礼 宿 一 軒 ある能ミ夫

というたびにんやどいっこうになしじゅんれいやどいっけんあるのみそれ


故 平 戸の者 と云 けれハ夫 故 焼 物 問 ヤニ泊  ニ喰

ゆえひらどのものといいければそれゆえやきものとんやにとまるにしょく


事等 よし内 もよし扨 爰 まで能路 々 入 海 ニ

じとうよしうちもよしさてここまでのみちみちいりうみに


して能キ景色 多 し皆 寫 春

してよきけしきおおしみなうつす


十 日夜 より風 雪 五  時 尓爰 出  立 して行ク皆

とおかよるよりふうせついつつどきにここしゅったつしてゆくみな


山 路 なり唐 津ノ堺  西 ノ方 屋しき野と云 所  山

やまみちなりからつのさかいにしのほうやしきのというところやま


能尓村 あり雪 ま多ら尓積ミ景 よし夫 より

のにむらありゆきまだらにつみけいよしそれより

(大意)

(補足)

「今福」、調川(つきのかわ)の東側。

 そのまま入り海にそって南東へ、奥まったところが伊万里。 


 現在の地図ではこんな感じ。

「扨爰まで能路々入海ニ して能キ景色多し皆寫春」、このあと、6頁もそれらの画のために費やしています。とても感動した様子です。

「十日」、天明9年1月10日。1789年2月4日。

「屋しき野」、現在の地図です。

 九州とはいえ、真冬の山路、「雪ま多ら尓積ミ」とありますけど、大変な旅路だろうと想像できます。

 

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