2025年10月21日火曜日

江漢西遊日記六 その18

P27 東京国立博物館蔵

(読み)

唐 津屋利吉 方 へ泊 ル生 月 嶋 ニて逢ヒタル幸 左

からつやりきちかたへとまるいきつきしまにてあいたるこうざ


衛門 と云フ人能弟(ヲトゝ)なり扨 爰 ハ間(アイ)ノ宿  ニヤ松

えもんというひとの おとと なりさてここは  あい のしゅくにやまつ


並 木能間 タ能家 ニて埒 もなき大 いなかなり

なみきのあいだのいえにてらちもなきおおいなかなり


坐(サ)志き様 なる処  茅(ホヲ)屋(ヲク)天 井  なし煙 りいぶ

  ざ しきようなるところ  ぼお   おく てんじょうなしけむりいぶ


せくして屋(ヲク)中  を廻 る是 まで行(キタ)ル路 雷  チ

せくして  おく じゅうをめぐるこれまで  きた るみちいかずち


山 雪 降り各 \/ま多゛ら上 尓瀧 アリとぞ

やまゆきふりおのおのまだ らうえにたきありとぞ


十  二日 天 氣無風 暖  カなり僕(ホク)昨 夜より何ニ

じゅうににちてんきむふうあたたかなり  ぼく さくやよりなに


ヤラ当 り多る歟亦 ハ寒 氣故 可吐シ或(アルヒ)ハ下 シ不

やらあたりたるかまたはかんきゆえかとし  あるい はくだしふ


快 なり夫 故 少  々  能荷物 を為持 姪(メイ)能濱 ま

かいなりそれゆえしょうしょうのにもつをもたせ  めい のはまま


て先 ヘ行キ亦 福 岡 ニて次(ツク)爰 ニて待 合ヒ个る

でさきへゆきまたふくおかにて  つぐ ここにてまちあいける

(大意)

(補足)

「間(アイ)ノ宿」、『あいのしゅく あひ― 【間の宿】江戸時代,旅人の休憩のために宿場と宿場の中間に設けられた宿。宿泊は禁止されていた。間の村。あい。』

「茅屋」、『ぼうおく ばうをく【茅屋】① かやぶきの家。② みすぼらしい家。また,自宅をへりくだっていう語。』

「十二日」、天明9年1月12日。1789年2月6日

「姪(メイ)能濱」、古地図の中央の河口の西側。東側には福岡城。

 当時の旅人は道中で病死したり、追い剥ぎにあって殺されたりなどしたときのために、どこに葬られても異存はないという書状を持っていました。

 

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