P27 東京国立博物館蔵
(読み)
唐 津屋利吉 方 へ泊 ル生 月 嶋 ニて逢ヒタル幸 左
からつやりきちかたへとまるいきつきしまにてあいたるこうざ
衛門 と云フ人能弟(ヲトゝ)なり扨 爰 ハ間(アイ)ノ宿 ニヤ松
えもんというひとの おとと なりさてここは あい のしゅくにやまつ
並 木能間 タ能家 ニて埒 もなき大 いなかなり
なみきのあいだのいえにてらちもなきおおいなかなり
坐(サ)志き様 なる処 茅(ホヲ)屋(ヲク)天 井 なし煙 りいぶ
ざ しきようなるところ ぼお おく てんじょうなしけむりいぶ
せくして屋(ヲク)中 を廻 る是 まで行(キタ)ル路 雷 チ
せくして おく じゅうをめぐるこれまで きた るみちいかずち
山 雪 降り各 \/ま多゛ら上 尓瀧 アリとぞ
やまゆきふりおのおのまだ らうえにたきありとぞ
十 二日 天 氣無風 暖 カなり僕(ホク)昨 夜より何ニ
じゅうににちてんきむふうあたたかなり ぼく さくやよりなに
ヤラ当 り多る歟亦 ハ寒 氣故 可吐シ或(アルヒ)ハ下 シ不
やらあたりたるかまたはかんきゆえかとし あるい はくだしふ
快 なり夫 故 少 々 能荷物 を為持 姪(メイ)能濱 ま
かいなりそれゆえしょうしょうのにもつをもたせ めい のはまま
て先 ヘ行キ亦 福 岡 ニて次(ツク)爰 ニて待 合ヒ个る
でさきへゆきまたふくおかにて つぐ ここにてまちあいける
(大意)
略
(補足)
「間(アイ)ノ宿」、『あいのしゅく あひ― 【間の宿】江戸時代,旅人の休憩のために宿場と宿場の中間に設けられた宿。宿泊は禁止されていた。間の村。あい。』
「茅屋」、『ぼうおく ばうをく【茅屋】① かやぶきの家。② みすぼらしい家。また,自宅をへりくだっていう語。』
「十二日」、天明9年1月12日。1789年2月6日
「姪(メイ)能濱」、古地図の中央の河口の西側。東側には福岡城。
当時の旅人は道中で病死したり、追い剥ぎにあって殺されたりなどしたときのために、どこに葬られても異存はないという書状を持っていました。


0 件のコメント:
コメントを投稿