2025年10月8日水曜日

江漢西遊日記六 その5

P6 東京国立博物館蔵

(読み)

へ生 大 根 二 ツ尓切 下 ニ由春゛里葉をしき右

へなまだいこんふたつにきりしたにゆず りはをしきみぎ


ニ生 鰯(イワシ)を二足 腹ラ合 セニ付 ル昨 今 大 嶋 ニ

になま  いわし をにひきはらあわせにつけるさっこんおおしまに


て四 ツ鯨  を取 と云

てよっつくじらをとるという


四 日天 氣よし亦 之助 と同 舟  して此 生 月

よっかてんきよしまたのすけとどうしゅうしてこのいきつき


嶋 を發 してタク嶋 大 嶋 右 ニ白 岳 能絶(セツ)

しまをはっしてたくしまおおしまみぎにはくたけの  ぜっ


壁(ヘキ)を見て油  水 と云 処  ニ舟 をよせ鮪 納

  ぺき をみてあぶらみずというところにふねをよせしびな


屋ニ至 り喰  事春夫 より田助 浦 釜 屋と

やにいたりしょくじすそれよりたすけうらかまやと


云 家 尓登 ル爰 ハ此 地能揚 屋なり土蔵

いういえにのぼるここはこのちのあげやなりどぞう


造(ツクリ)尓して二階 ニ能ぼり見ル尓油  樽 ヤラ物

  つくり にしてにかいにのぼりみるにあぶらだるやらもの


置 能様 なる所  なり爰 尓亦 之助 なしミ能お山

おきのようなるところなりここにまたのすけなじみのおやま

(大意)

(補足)

「二足」、二疋。お正月料理なのでしょうか、おいしそうです。

「四日」、天明9年1月4日。1789年1月29日。

「タク嶋」、度嶋。多嶋ではありませんでした。

「大嶋」、古地図です。 

 左端が生月島。一番右上が大嶋、その下が度島、さらにその下に平戸島の白岳(しらたけ)があって、その南側に田助浦があります。

 なお白岳は標高約250mで、1904年(明治37年)の日露戦争中には白岳に海軍の無線所が設置され、日本海海戦における「敵艦見ゆ」の第一報がこの地で受信されたと伝えられています、とありました。 

  白岳のすぐ右下に「油水」という地名があります。

 「田助浦釜屋と云家尓登ル爰ハ此地能揚屋」、揚屋評論家でもある江漢さん、入念・綿密な調査をおこない、細かく記しています。

 ここの揚屋は土蔵造りのようで、「油樽ヤラ物置能様なる所」でも、なかなか味がありそうだという好印象を持ったようであります。

 

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