P6 東京国立博物館蔵
(読み)
へ生 大 根 二 ツ尓切 下 ニ由春゛里葉をしき右
へなまだいこんふたつにきりしたにゆず りはをしきみぎ
ニ生 鰯(イワシ)を二足 腹ラ合 セニ付 ル昨 今 大 嶋 ニ
になま いわし をにひきはらあわせにつけるさっこんおおしまに
て四 ツ鯨 を取 と云
てよっつくじらをとるという
四 日天 氣よし亦 之助 と同 舟 して此 生 月
よっかてんきよしまたのすけとどうしゅうしてこのいきつき
嶋 を發 してタク嶋 大 嶋 右 ニ白 岳 能絶(セツ)
しまをはっしてたくしまおおしまみぎにはくたけの ぜっ
壁(ヘキ)を見て油 水 と云 処 ニ舟 をよせ鮪 納
ぺき をみてあぶらみずというところにふねをよせしびな
屋ニ至 り喰 事春夫 より田助 浦 釜 屋と
やにいたりしょくじすそれよりたすけうらかまやと
云 家 尓登 ル爰 ハ此 地能揚 屋なり土蔵
いういえにのぼるここはこのちのあげやなりどぞう
造(ツクリ)尓して二階 ニ能ぼり見ル尓油 樽 ヤラ物
つくり にしてにかいにのぼりみるにあぶらだるやらもの
置 能様 なる所 なり爰 尓亦 之助 なしミ能お山
おきのようなるところなりここにまたのすけなじみのおやま
(大意)
略
(補足)
「二足」、二疋。お正月料理なのでしょうか、おいしそうです。
「四日」、天明9年1月4日。1789年1月29日。
「タク嶋」、度嶋。多嶋ではありませんでした。
「大嶋」、古地図です。
左端が生月島。一番右上が大嶋、その下が度島、さらにその下に平戸島の白岳(しらたけ)があって、その南側に田助浦があります。
なお白岳は標高約250mで、1904年(明治37年)の日露戦争中には白岳に海軍の無線所が設置され、日本海海戦における「敵艦見ゆ」の第一報がこの地で受信されたと伝えられています、とありました。
白岳のすぐ右下に「油水」という地名があります。
「田助浦釜屋と云家尓登ル爰ハ此地能揚屋」、揚屋評論家でもある江漢さん、入念・綿密な調査をおこない、細かく記しています。
ここの揚屋は土蔵造りのようで、「油樽ヤラ物置能様なる所」でも、なかなか味がありそうだという好印象を持ったようであります。
0 件のコメント:
コメントを投稿