2025年10月22日水曜日

江漢西遊日記六 その19

P28 東京国立博物館蔵

(読み)

尓馬 尓能里来 ル夫 より博多(ハカタ)ニ至  半 里あり爰 ハ

にうまにのりきたるそれより   はかた にいたるはんりありここは


黒 田侯 三 十  万 石 能領  地ニて姪 の濱 より

くろだこうさんじゅうまんごくのりょうちにてめいのはまより


爰 まで人 家續(ツゞ)けり博 多鰯(イワシ)町  由岐屋

ここまでじんか  つづ けりはかた  いわし ちょうゆきや


甚 兵衛生 月 能問 屋なり昼 時 爰 尓着(ツク)也

じんべえいきつきのとんやなりひるどきここに  つく なり


見世能向 フ尓別 家アリ我 等能ミ爰 ニ居ル

みせのむこうにべっかありわれらのみここにいる


奇麗 ニして起居 安 し菓子茶 を出春兎

きれいにしてききょやすしかしちゃをだすと


角 僕 弁 吉不快 なり平 戸より之(コレ)まで能往

かくぼくべんきふかいなりひらどより  これ までのおう


来 人 行 希 なり誠  尓寒 氣能節 昨 日 と一

らいじんこうまれなりまことにかんきのせつさくじつといっ


昨 日 風 雪 能山 路 誠  尓難 渋  なりき

さくじつふうせつのやまみちまことになんじゅうなりき


十  三 日 雨天 滞 畄  春主 人 出テ話 ス主 人 能

じゅうさんにちうてんたいりゅうすしゅじんでてはなすしゅじんの

(大意)

(補足)

「博多鰯(イワシ)町」、『博多の「鰯町」は、かつて存在した豪商の町で、明治時代の風情を残しています。かつては川端町の一部でしたが、1945年の福岡大空襲で全焼し、現在は「須崎町(すさきまち)」となっています』とAIの概要にありました。

「奇麗」、綺麗。「弁吉」、弁喜。

「人行」、『じんこう ―かう【人行】人の往来。「街には―絶えたり」〈即興詩人•鷗外〉』

「誠」、「殊」かもしれません。すぐ左に「誠尓」があって、比較すると偏のくずし字が異なっています。3行目に「續」があり、この糸偏とも形がことなっています。

「十三日」、天明9年1月13日。1789年2月7日。

 生月島を出立してから、せっせせっせと帰路を急ぐような雰囲気が文章に感じられます。

 

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