2025年10月6日月曜日

江漢西遊日記六 その3

P3 東京国立博物館蔵

P4

(読み)

生 月 嶋 ニテ

いきつきしまにて


又 右衛門發 起

またえもんほっき


シテ濱 邊ニ

してはまべに


小屋を可けて

こやをかけて


芝居 をスル

しばいをする


正  月 二 日

しょうがつふつか


なり

なり

P4

王し能段

わしのだん


山 中 左衛門

やまなかさえもん


の人 形

のにんぎょう

(大意)


(補足)

P4「王し能段」、『鷲の段(花衣いろは縁起)』少々長いですが物語のあらすじです。

『「花衣いろは縁起」は、三好松洛、竹田出雲作の人形浄瑠璃で、寛保2年(1742)に竹本座で初演されたとある。物語は、〈山中左衛門慰義継は社寺再建奉行として京都に滞在中に小督という女性と契り、男児をもうけ三之助と名付ける。左衛門には許嫁があるが、夫婦は幼児をつれて近江の志賀の里に隠れ農夫となる。ある日、大鷲が飛来し幼児の三之助はさらわれ、ふたりは狂気する。左衛門の死後、母小督は諸国を訪ね歩き、幡随院随波上人に拾われて成長し幻想上人となっていることを知り、幻想上人の法談の席で再会をはたす〉』とありました。

 後年、これを江戸時代末期の絵師である絵金(絵師金蔵)(弘瀬金蔵(ひろせきんぞう)1812-1876)が描いた作品群『花衣いろは縁起』の中の一つの「鷲の段」が有名です。 

 この作品は屏風絵で、人形のようでいて情熱的な筆致で描かれた絵が特徴的で、高知県の香南市赤岡町に伝わる名作とされています。

 P3の海辺のにぎわい、これは大げさに描いたのではなく本当にこのようだったのだとおもいます。浜辺の近辺で暮らす人たちの正月で楽しそうな表情が豊かです。浜に打ち上げてある小舟に乗って見物している人もいます。

 P4人形遣いは又右衛門。床几に腰掛けているのは奥様とお嬢様、左端が江漢かもしれません。親子の髪型、なるほど念入りに凝っています。身分が低い人達は垣根の外からの見物のようです。

 それにしても、生月島は長崎に近いとはいえ、文化レベルの高さが維持されていることに驚きます。

 

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