P74 東京国立博物館蔵
(読み)
廿 五日 朝 霰 婦る後 天 氣山 形 新 四郎 方 へ
にじゅうごにちあさあられふるのちてんきやまがたしんしろうかたへ
行 壱 州 ニて取り多る鯨 を喰(クフ)大 主 人 又 左衛
ゆくいっしゅうにてとりたるくじらを くう おおしゅじんまたざえ
門 方 へ行 菓子出ツ
もんかたへゆくかしでず
廿 六 日 又 大 風 雨霰 寒 し今 日春ゝ取リ
にじゅうろくにちまただいふううあられさむしきょうすすとり
小豆(アツキ)飯(メシ)平(ヒラ)ハあ王び唐(トウ)能芋 能かしら尓
あずき めし ひら はあわび とう のいものかしらに
菜(ナ)をあしらへ汁 ハ鯨 の肉 筑 前 能人 来 リ居
な をあしらへしるはくじらのにくちくぜんのひときたりおり
し尓話(ハナシ)尓先 日 時 津能渡 リニて大 坂 の藝(ケイ)
しに はなし にせんじつときづのわたりにておおさかの げい
子七 八 人 能り多る舩 破舩 し多ると云フ
こしちはちにんのりたるふねはせんしたるという
廿 七 日 天 氣新 四郎 方 尓居ル時 尓鯨 取レ多る
にじゅうしちにちてんきしんしろうかたにおるときにくじらとれたる
と云 夫 より三崎 へ行ク尓海 岸 を越 て行く
というそれよりみさきへゆくにかいがんをこえてゆく
(大意)
略
(補足)
「廿五日」、天明8年12月25日。1789年1月20日。間違いをなおそうと重ね書きしてます。「五」はずです。
「霰」、江漢さんの天気の見立ては、あきらかに「雪」でないものはすべて「霰(あられ)」のようです。
「春ゝ取リ」、『すすはらい ―はらひ【煤払い】② 年末,正月の準備に家の内外を大掃除すること。江戸時代には,12月13日が恒例であった。すすはき。すすとり』。地域によって行う日はいろいろだったようです。
「唐(トウ)能芋」、『とうのいも たう―【唐の芋】サトイモの一品種。葉柄は紫色で長い。主に茎と親芋を食用にする。あかいも』。店頭には「海老芋」として売られているもの。
日記の天気には現地の天候が不安定で大荒れの時もあって、江漢さん一行のたどってきた海路では破船などで亡くなっている人もいるようです。いつ我が身にもと感じ入るところがあるのだとおもいます。
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