P37 東京国立博物館蔵
(読み)
いくらもアリて拾(ヒロヒ)て二 ツ三ツハ持 帰 り个連ど
いくらもありて ひろい てふたつみつはもちかえりけれど
荷重 くなる故 尓ひろ王づ僕(ホク)弁 㐂も馬 尓
におもくなるゆえにひろわず ぼく べんきもうまに
能る馬 能足 一 二尺 泥(トロ)ニ入ル亦 田畑 尓ツル多
のるうまのあしいちにしゃく どろ にいるまたたはたにつるおお
し真奈靏 黒 ツル白 ツルなり白 ツルハ全
しまなづるくろつるしろつるなりしろつるはぜん
身 白 く尾の先 少 々 黒 キ処 アリ喙(クチハシ)足(アシ)代(タイ)シヤ
しんしろくおのさきしょうしょうくろきところあり くしはし あし たいしゃ
石 ニ黄混し多る色 喙(クチハシ)ハ鷭(バン)の如 し七 ツ時 ニ
せきにきまじたるいろ くちはし は ばん のごとしななつどきに
木屋瀬(コヤノセ)ニ泊 ル石 炭 能風呂尓入 ル
こやのせ にとまるせきたんのふろにはいる
十 八 日 雨 折 \/降 朝 六ツ時 立ツ駕籠ニて黒
じゅうはちにちあめおりおりふるあさむつどきたつかごにてくろ
崎 まて亦 馬 ニて小倉 へ次キ直 尓渡 シ舩 尓
さきまでまたうまにてこくらへつぎただちにわたしふねに
能る扨 風 なく海 平 カ。引 嶋 遠 く見へ眼(カン)
のるさてかぜなくうみたいらか ひきしまとおくみえ がん
(大意)
略
(補足)
「十八日」、天明9年1月18日。1789年2月12日。
「木屋瀬、黒崎」、木屋瀬は画像下部中央川の右岸、そこから右上街道をのぼって入江にぶつかったところが黒崎。
「小倉」、引島は湾のうちにあります。
来るときは長崎街道を下ってきましたが、帰りは九州の上部の海沿いをなぞるように歩んでいます。



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