2025年10月30日木曜日

江漢西遊日記六 その27

P37 東京国立博物館蔵

(読み)

いくらもアリて拾(ヒロヒ)て二 ツ三ツハ持 帰 り个連ど

いくらもありて  ひろい てふたつみつはもちかえりけれど


荷重 くなる故 尓ひろ王づ僕(ホク)弁 㐂も馬 尓

におもくなるゆえにひろわず  ぼく べんきもうまに


能る馬 能足 一 二尺  泥(トロ)ニ入ル亦 田畑 尓ツル多

のるうまのあしいちにしゃく  どろ にいるまたたはたにつるおお


し真奈靏 黒 ツル白 ツルなり白 ツルハ全

しまなづるくろつるしろつるなりしろつるはぜん


身 白 く尾の先 少  々  黒 キ処  アリ喙(クチハシ)足(アシ)代(タイ)シヤ

しんしろくおのさきしょうしょうくろきところあり  くしはし あし  たいしゃ


石 ニ黄混し多る色 喙(クチハシ)ハ鷭(バン)の如 し七 ツ時 ニ

せきにきまじたるいろ  くちはし は  ばん のごとしななつどきに


木屋瀬(コヤノセ)ニ泊 ル石 炭 能風呂尓入 ル

    こやのせ にとまるせきたんのふろにはいる


十  八 日 雨 折 \/降 朝 六ツ時 立ツ駕籠ニて黒

じゅうはちにちあめおりおりふるあさむつどきたつかごにてくろ 


崎 まて亦 馬 ニて小倉 へ次キ直  尓渡 シ舩 尓

さきまでまたうまにてこくらへつぎただちにわたしふねに


能る扨 風 なく海 平  カ。引 嶋 遠 く見へ眼(カン)

のるさてかぜなくうみたいらか ひきしまとおくみえ  がん

(大意)

(補足)

「十八日」、天明9年1月18日。1789年2月12日。

「木屋瀬、黒崎」、木屋瀬は画像下部中央川の右岸、そこから右上街道をのぼって入江にぶつかったところが黒崎。

「小倉」、引島は湾のうちにあります。

 来るときは長崎街道を下ってきましたが、帰りは九州の上部の海沿いをなぞるように歩んでいます。


 

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