P32 東京国立博物館蔵
(読み)
町 とて遊 里アリ是 ハ至 てザット志多る所 也
ちょうとてゆうりありこれはいたってざっとしたるところなり
此 地姪 の濱 より福 岡 まて一 里余 福 岡
このちめいのはまよりふくおかまでいちりあまりふくおか
ヨリ博 多迄 十 八 町 人 家續 キて繁昌(ハンゼ ウ)
よりはかたまでじゅうはっちょうじんかつづきて はんじょう
能地なり西 ハ海 南 ハ山 なり
のちなりにしはうみみなみはやまなり
十 六 日 天 氣出 立 せんと春老 婦色 \/取
じゅうろくにちてんきしゅったつせんとすろうふいろいろとり
揃 ヘ飯 出須茶 梅 干 外 ニ金 子を添ヘて
そろえめしだすちゃうめぼしほかにきんすをそえて
餞 別 と春五 時 少 シ過 て發 足 し程 なく箱
せんべつとすいつつどきすこしすぎてはっそくしほどなくはこ
崎 八 幡 往 来 なり参 詣 春海 の中 路 見へる
さきはちまんおうらいなりさんけいすうみのなかみちみえる
玄 海 じま鹿 の嶋 なと云 嶋 \/見へ能キ景色
げんかいじましがのしまなどいうしまじまみえよきけしき
夫 より松 原 を通 里昼 比 より雨 降 出して
それよりまつばらをとおりひるごろよりあめふりだして
(大意)
略
(補足)
「ザット」、大雑把ということですが、現在でも日常的に使われ、この時代でも同じ意味だったのでしょう。古い文献では余り見ません。
「十六日」、天明9年1月16日。1789年2月10日。
「博多迄十八町」、「五時少シ過て」、迄と過の区別に注意。
「鹿の嶋」、志賀嶋。箱崎八幡は赤い印のところ。
古地図と比べても、ほとんど同じです。右下に箱崎村、箱崎宿があり、すぐそばにある青い屋根が筥崎宮だとおもいます。
博多には結局12日から3日間過ごし、16日朝8時頃出立。「玄海じま鹿の嶋なと云嶋\/見へ能キ景色」を楽しみましたが、「昼比より雨降出して」しまいました。

















































