2025年1月20日月曜日

江漢西遊日記二 その20

P24 東京国立博物館蔵

(読み)

鈴 木氏ヘかえる谷 川 尓て取 多るウナギ

すずきしへかえるたにがわにてとりたるうなぎ


蒲 焼 ニして喰ヒ希る至  て美味然 シ皮 コハ

かばやきにしてくいけるいたってびみしかしかわこわ


シ鈴 木氏ニ泊 ル

しすずきしにとまる


廿 日雨 天湯能山 ヘ行 ンと欲 ス一 人案内 ノ者 を

はつかうてんゆのやまへゆかんとほっすひとりあないのものを


連し 爰 より二里を隔 ツ先 一 里を過ク一 里方

つれしここよりにりをへだつまずいちりをすぐいちりほう


なる原 アリ其 比 秋 なれハ萩 桔梗(キコ ウ)おミなへし

なるはらありそのころあきなればはぎ   ききょう おみなえし


白  シン花 さかり小松 小笹 を生  し又 山 ハ皆 土(ツチ)

びゃくしんはなさかりこまつこざさをしょうじまたやまはみな  つち


尓あら須石 能く多゛け多る物 尓て色 赤 く白 シ谷

にあらずいしのくだ けたるものにていろあかくしろしたに


河 あり中 尓大 石 能いくらもありて水 碁 石 ニ

かわありなかにおおいしのいくらもありてみずそのいしに


觸(フ)れて飛ヒ流 ルおそろしき処  なり碁 石 より

 ふ  れてとびながるおそろしきところなりそのいしより

(大意)

(補足)

「廿日」、天明8年七月廿日。1788年8月21日。

「一里方なる原アリ」、「西遊旅譚一」の同日の日記に「廿日湯山(ユノヤマ)尓行(ユクコト)菰野より二里餘一里過天方(ホウ)一里程の原有小笹おほし」とあります。ここでもですが、こんな山奥に一里四方の広さの野原があるとは思えないのですけど、解釈が間違っているのかもしれません。

「白シン」、『イブキの別名。ヒノキ科の常緑高木。本州以西の暖地の海岸に生え,庭木・生け垣として栽培される。葉は普通鱗片(りんぺん)状で枝に密生するが,スギ葉状のもの(別名ビャクシン)もある。雌雄異株。四月頃開花。材は鉛筆・床柱・器具材など,用途が広い』

「萩桔梗(キコウ)おミなへし」、ちなみに秋の七草は、ハギ・ススキ(オバナ)・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ。

 新暦では8月下旬に入る頃です。山の奥なのではやくも秋の始まりだったよう。

 

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