P31 東京国立博物館蔵
(読み)
埋(ウツ)め四面 山 高 く常 尓雲 霧(ム)を生 じ其
うず めしめんやまたかくつねにうん む をしょうじその
比ロ兎角 雨 振り四 日市 の方 を望 ム尓遥 尓
ころとかくあめふりよっかいちのほうをのぞむにはるかに
見ヘ日照ラして青 天 なり返 リ度 思 へとも谷
みえひてらしてせいてんなりかえりたくおもえどもたに
川 水 出 帰 ル事 不能 困 リ个る
がわみずでるかえることあたわずこまりける
廿 一 日 大 雨 亭 主 画を請フ此 山 中 ニ唐 紙
にじゅういちにちおおあめていしゅえをこうこのさんちゅうにからかみ
二三 枚 持 来 ル冨士能づ両 国 橋 の圖芝 能
にさんまいもちきたるふじのずりょうごくばしのずしばの
増 上 寺の川゛三 枚 を認 メ遣 ス日暮 より又
ぞうじょうじのず さんまいをしたためつかわすひぐれよりまた
大 風 雨なり四 日市 お山 五人 居 申 候 ニ之(コレ)も
だいふううなりよっかいちおやまごにんおりもうしそうろうに これ も
返 ル事 不能
かえることあたわず
廿 二日 昨 夜より大 嵐 なり銅 板 画目鏡
にじゅうににちさくやよりおおあらしなりどうはんがめかがみ
(大意)
略
(補足)
「望ム」、初めてでしたら読めませんでしたけど、もう何度も出てきたくずし字ですので大丈夫。
「廿一日」、天明8年七月廿一日。1788年8月22日。
「冨士能づ両国橋の圖芝能増上寺の川゛」、「づ」を変えています。日記・手紙・黄表紙などの古文書を読んでいると、このようにひらがなやカタカナや変体仮名などで変化させるのがたしなみであったようです。
「お山」、『おやま をやま【〈女形〉 ・〈女方〉 ・御山】
〔江戸初期に小山次郎三郎が使った遊女の人形から出た語という。 →おやま人形〕
① 歌舞伎で女役を演ずる男性の役者。また操り人形で,女役の人形。おんながた。
② (上方で)遊女のこと。「あの上手な絵書殿によい―を十人程書いてもらひ」〈浄瑠璃・傾城反魂香〉』
「返ル」、帰る。
「銅板画目鏡」、道中で気が向くと周りの人たちに見せているので、もう何度か出てきています。『めがね‐え‥ヱ【眼鏡絵】凸レンズの眼鏡を通して見る絵。透視図法を用いて描いたもので、箱の一方にはめた絵を他方に置いたレンズで拡大して見るだけの「のぞき絵」と、覗絡繰(のぞきからくり)に用いる「からくり絵」とがある。一八世紀前半に中国経由で日本に伝来し、円山応挙や司馬江漢らも制作した』。折りたたみ式になっているとはいえ、こんな山奥の険しい山道にまで持ち運ぶとは、やはり江漢さんはちょっと・・・
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