2025年1月9日木曜日

江漢西遊日記二 その9

P13 東京国立博物館蔵

(読み)

石 階(サカ)を少 シ下 リて薬 師堂 本 堂 なり末(マツ)

いし  さか をすこしくだりてやくしどうほんどうなり  まっ


社 堂 ノ後 ロニ多 し左  ノ方 岩 尓そふて塔 アリ

しゃどうのうしろにおおしひだりのほういわにそうてとうあり


夫 よりして石 階 を下 ル事 九  町  其 半  ニ十

それよりしていしさかをくだることきゅうちょうそのなかばにじゅう


二坊 天 台 真 言 ノ二派あり学 頭 ニ天

にぼうてんだいしんごんのにはありがくとうにてん


台 尓松  高 院 真 言 ニ醫王 院 の二坊

だいにしょうこういんしんごんにいおういんのにぼう


なり山 を下 リ津くせハ角 屋町  旅 館 多 し

なりやまをくだりつくせばかどやちょうりょかんおおし


爰 ヲ過 て瀧 川 へ出ル舟 ニて渡 ル銭 か免

ここをすぎてたきがわへでるふねにてわたるぜにかめ


村 あり三 里 を行 て新 城 と云 処  人 家續 キ

むらありさんりいをゆきてしんしろというところじんかつづき


て冨商  あり夫 より野田ヘ二里十  六 町  大

てふしょうありそれよりのだへにりじゅうろくちょうおお


木村 ヘ三 里豊 川 左  ニ見テ小ナカフど可原

きむらへさんりとよかわひだりにみてこなこうどがわら

(大意)

(補足)

 江漢の歩いた鳳来寺山から御油への路で村名ののった地図をネットで探すと、この一枚だけしか見つかりませんでした。秋葉山参詣道法図。 

 地図の中央から左よりの部分になります。鳳来寺山を下ると門谷、川の手前が滝川、渡ったところが銭亀村。「三里行て」新城、Y字路の合流地点なので栄えたようです。さらに野田、大木村と地名が確認できます。

「小ナカフど可原」、小奈高戸が原。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿