2025年1月12日日曜日

江漢西遊日記二 その12

P16 東京国立博物館蔵

(読み)

五  時 比 宮 ニ至 ル舟 出ル故 尓舟 ニ乗り桑 名ニ

いつつどきころみやにいたるふねでるゆえにふねにのりくわなに


着ク四 日市 を過 ル事 半 路日永 村 清水 源

つくよっかいちをすぎることはんろひなかむらしみずげん


兵衛宅 ニ至 ル爰 ハ江戸尓出見世あり兄  弟

べえたくにいたるここはえどにでみせありきょうだい


出て話 春六 月 二 日出ノ状(ゼ ウ)を見ル

でてはなすろくがつふつかでの  じょう をみる


四 日天 氣大 暑 爰 尓暫  く滞 留  春父子出

よっかてんきたいしょここにしばらくたいりゅうすふしで


て話 春晩 方 夕 立 冷 氣トナル

てはなすばんがたゆうだちれいきとなる


五 日天 氣暑 シ草 画六 七 枚 出来ル亦 金 の

いつかてんきあつしそうがろくしちまいできるまたきんの


小襖  山 水 能画認  ム少  ゝ  不快 父子世話スル

こぶすまさんすいのえしたたむしょうしょうふかいふしせわする


六 日朝 雨 少  々  冷 氣癪  氣未 タ不快 夜 ニ入

むいかあさあめしょうしょうれいきしゃっきいまだふかいよるにはいり


大 雨 雷   江戸中 橋 の者 白 川 侯 ヘ西 ノ久保ヲ通(ツウ)

おおあめかみなりえどなかはしのものしらかわこうへにしのくぼを  つう


行 の時

こうのとき

(大意)

(補足)

「宮」、尾張の熱田。ここから桑名までが海上七里の船路で「七里の渡し」で有名なところ。

桑名・四日市・日永村の地図。三つの地名が少々わかりにくいですけど確認できます。 

「日永村」、東海道と参宮街道の分岐点にあたり、交通の要所。参宮街道上には大鳥居が街道をまたいで高くそそり立っていた。 

 「六月二日出ノ状(ゼウ)」、約一ヶ月遅れの手紙を受け取ったわけですけど、どんな方法で受け取ることができたのでしょうか。この頃は大阪や江戸の間でお金の手形の決済などが行われていましたから、飛脚や運送業は想像以上に発達していたのではとおもいます。

「四日」、天明8年七月四日。1788年8月5日。

 江漢さん、風邪を引いてしまったようです。

 

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