P37 東京国立博物館蔵
(読み)
あり又 川 ありて水 車 能樋(トイ)の中 を行キて
ありまたかわありてすいしゃの とい のなかをゆきて
向 フへ越し夫 より程 なく日暮 日永 ヘ二十
むこうへこしそれよりほどなくひぐれひながへにじゅう
四五町 を過 て行 付ける
しごちょうをすぎてゆきつける
廿 四 日朝 天 氣晩 方 大 雨 夜中 ヤマズ主 人
にじゅうよっかあさてんきばんがたおおあめよなかやまずしゅじん
と咄 春よくそや帰 リ多り菰 野山 中 嘸 々
とはなすよくぞやかえりたりこものさんちゅうさぞさぞ
大 水 ならんと申 个り
おおみずならんともうしけり
廿 五日 天 氣時 々 雨 四 枚 襖 墨 画認 メル
にじゅうごにちてんきときどきあめよんまいふすますみがしたためる
廿 六 日 天 氣アブラ照 暑 シ四 日市 諏訪
にじゅうろくにちてんきあぶらでりあつしよっかいちすわ
祭 ナリ夜 営 ニて亀六 と参 ル京 風 能山 と
まつりなりよいみやにてきろくとまいるきょうふうのやまと
云フ物 出ル冨士能巻 狩(カリ)の袮里物 を見 物
いうものでるふじのまき がり のねりものをけんぶつ
(大意)
略
(補足)
「日永」、今まで読みを間違えていました。「ひなか」です。西遊旅譚一には日永村「ひながむら」と振り仮名があります。
「廿四日」、天明8年七月廿四日。1788年8月25日。
「嘸々」、読みをおもいだそうと試みるもダメでした。漢字変換「さぞ」で出てきます。
「四日市諏訪祭」、往古から毎年七月二七日と定まっていた。戦争により諏訪神社をはじめ練りもの(袮里物)も焼失し、往時の豪華な姿をしのぶことはできない、とありました。
西遊旅譚一の図
屋根の隣家との境にある衝立みたいなものが特徴的です。七月十五日に「家能建方大家(ヲゝヤ)根(ネ)のノキを長ク出して隣の堺尓ヘキリとてへゐ能様なる物を入ルなり」とあったのが、これでしょう。
「夜営」、『よいみや よひ―【宵宮】〔「よみや」とも〕
神社の本祭りの前夜,時には数日前に行われる祭り。宵祭り。宵宮祭り。夜宮。季夏』
「四枚襖墨画認メル」、これはけっこうな大作。ちょうどお祭りのときで、たくさんの人が見に来たのではないでしょうか。
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