2025年1月24日金曜日

江漢西遊日記二 その24

P30 東京国立博物館蔵

(読み)

勇 氣尓なる者 と話  希り宿 能亭 主 能話

ゆうきになるものとはなしけりやどのていしゅのはな


しける尓内 の男  山 仕事 ニ参  返 り尓木をせ

しけるにうちのおとこやましごとにまいりかえりにきをせ


おひて行 跡 より狼   送 リ来ル此 男  石 なん

おいてゆくあとよりおおかみおくりくるこのおとこいしなん


と打 付 ツゝ歩 ミし尓遂 尓宿 へ帰 る夫 より急

どうちつけつつあゆみしについにやどへかえるそれよりきゅう


なる用 事ニて下 菰 野へ日暮(クレ)て出て个る尓

なるようじにてしもこものへひ  ぐれ てでてけるに


さ以せん能狼   彼 渓 川 能石 ニ能里て待ツ

さいぜんのおおかみかのたにがわのいしにのりてまっ


て居希り夫 故 不行 してかえると云 狼   ハ兎

ていけりそれゆえゆかずしてかえるというおおかみはと


角 まける事 を耻 る者 とぞ此 地冬 ハ雪

かくまけることをはずるものとぞこのちふゆはゆき


深 く爰 ハ冷 氣尓して野菜 不生 土 なく皆ナ

ふかくここはれいきにしてやさいならずつちなくみな


岩 能破 レ多る小石 の如 くして山 くだけ路 を

いわのやぶれたるこいしのごとくしてやまくだけみちを

(大意)

(補足)

「耻」、恥の異体字。

 菰野と温泉で検索すると湯の山温泉(標高400m)が出てきて、「湯の山温泉はなぜ廃れたのですか?」という項目に「菰野の湯の山温泉と一志郡の榊原温泉だけであり、北伊勢地方では唯一の温泉でした。 天明の大飢饉、寛政の改革によって奢侈の禁止、男女混浴の禁制など、幕府や藩の倹約令の強行によって取り締まりが厳しくなると、湯の山へ訪れる湯治客や行楽客も次第に少なくなってきました」とありました。

 しかし、現在でもお湯は枯れることなく湧き出していて、旅館も数件あり、北伊勢の貴重な温泉地となっています。

 

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