P30 東京国立博物館蔵
(読み)
勇 氣尓なる者 と話 希り宿 能亭 主 能話
ゆうきになるものとはなしけりやどのていしゅのはな
しける尓内 の男 山 仕事 ニ参 返 り尓木をせ
しけるにうちのおとこやましごとにまいりかえりにきをせ
おひて行 跡 より狼 送 リ来ル此 男 石 なん
おいてゆくあとよりおおかみおくりくるこのおとこいしなん
と打 付 ツゝ歩 ミし尓遂 尓宿 へ帰 る夫 より急
どうちつけつつあゆみしについにやどへかえるそれよりきゅう
なる用 事ニて下 菰 野へ日暮(クレ)て出て个る尓
なるようじにてしもこものへひ ぐれ てでてけるに
さ以せん能狼 彼 渓 川 能石 ニ能里て待ツ
さいぜんのおおかみかのたにがわのいしにのりてまっ
て居希り夫 故 不行 してかえると云 狼 ハ兎
ていけりそれゆえゆかずしてかえるというおおかみはと
角 まける事 を耻 る者 とぞ此 地冬 ハ雪
かくまけることをはずるものとぞこのちふゆはゆき
深 く爰 ハ冷 氣尓して野菜 不生 土 なく皆ナ
ふかくここはれいきにしてやさいならずつちなくみな
岩 能破 レ多る小石 の如 くして山 くだけ路 を
いわのやぶれたるこいしのごとくしてやまくだけみちを
(大意)
略
(補足)
「耻」、恥の異体字。
菰野と温泉で検索すると湯の山温泉(標高400m)が出てきて、「湯の山温泉はなぜ廃れたのですか?」という項目に「菰野の湯の山温泉と一志郡の榊原温泉だけであり、北伊勢地方では唯一の温泉でした。 天明の大飢饉、寛政の改革によって奢侈の禁止、男女混浴の禁制など、幕府や藩の倹約令の強行によって取り締まりが厳しくなると、湯の山へ訪れる湯治客や行楽客も次第に少なくなってきました」とありました。
しかし、現在でもお湯は枯れることなく湧き出していて、旅館も数件あり、北伊勢の貴重な温泉地となっています。
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