2025年1月6日月曜日

江漢西遊日記二 その6

P10 東京国立博物館蔵

(読み)

廿   九日 天 氣ニて明 方 熊 村 庄  屋孫 右衛門方

にじゅうくにちてんきにてあけがたくまむらしょうやまごえもんかた


を出  立 春四面 能山 より霧(キリ)モヤを起 シ

をしゅったつすしめんのやまより  きり もやをおこし


山 中  能景色 なり人 足 能者 話(ハナシ)尓去 年

さんちゅうのけしきなりにんそくのもの  はなし にきょねん


能事 ニて此 山 中  尓て小童 草を刈(カリ)し尓

のことにてこのさんちゅうにてこどもくさを かり しに


何 ヤラ獣  出て飛 かゝ里个連ハ一 人ハ尓げ

なにやらけものでてとびかかりければひとりはにげ


多り跡 行 見れハ頭  ばかり残 シてあり当 年

たりあとゆきみればあたまばかりのこしてありとうねん


毛大 能男  お和れ个る何 ニと云 獣  ヤラ色 ハ赤 ク

もだいのおとこおわれけるなににというけものやらいろはあかく


覚(ヲホヘ)多るトヤ亦 江戸と申  処  ハと能様 なる処  と聞ク

  おぼえ たるとやまたえどともうすところはどのようなるところときく


故 尓荷の内 ニ我 等造 リ多る覗(ノソキ)目か年を所

ゆえににのうちにわれらつくりたる  のぞき めがねをしょ


持春両  国 橋 の圖江戸橋 能づあり之(コレ)を見(ミ)

じすりょうごくばしのずえどばしのずあり  これ を  み

(大意)

(補足)

「廿九日」、天明8年六月廿九日。西暦1788年8月1日。

「覗(ノソキ)目か年」、18世紀ヨーロッパに各地名所絵とともに流行し、これがまもなく中国、日本に伝来した。円山応挙が1750年代に京都名所の眼鏡絵を制作したのは有名。江漢はこの器具を自作銅版画の眼鏡絵数点とともに携行していた。反射式覗き眼鏡は神戸市立博物館のHPで見ることが出来ます。

「両国橋の圖」、もとの画は反射式眼鏡絵として制作されたので左右反対の構図となってますので、ここではそれを反転させています(題名が鏡文字になっています)。

 手前の出店は両国橋の西岸のにぎわい、両国橋の上にはたくさんの人々が細かく描かれています。隅田川の上流に見える橋は吾妻(東)橋。その左側に大きな屋根は浅草寺でしょう。

「江戸橋能づ」、もと画は色付き。 


 


 

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