P32 東京国立博物館蔵
(読み)
を見せる皆 々 感 心 春る
をみせりみなみなかんしんする
廿 三 日 朝 ヨリ風 雨山 々 雲 を吐キい川天 氣尓
にじゅうさんにちあさよりふううやまやまくもをはきいつてんきに
なるべしとも見ヘ春゛夫 故 何ニ分 ニも帰 リ多し
なるべしともみえず それゆえなにぶんにもかえりたし
と云 ニ不返(カヘサツ)昨 日 ところ能者 彼の谷 川 ニテあやまつて死ケリ
というに かえさず さくじつところのものかのたにがわにてあやまってしけり
爰 元 ヘ御出 能時 お飛ヒなされ多る石 皆 水
ここもとへおいでのときおとびなされたるいしみなみず
底 となり流 レ尤 モ急 尓して其 石 尓春べ
ぞことなりながれもっともきゅうにしてそのいしにすべ
里てたをれ个連ハ石 尓觸れて忽 チ死ニ申 候
りてたおれければいしにふれてたちまちしにもうしそうろう
と云 然 レとも甚 タ躰(タイ)屈(クツ)しけれハ何 分 かえり
というしかれどもはなはだ たい くつ しければなにぶんかえり
多しと云 尓付ケ人 足 八 人 がゝ里ニして彼 谷 ノ
たしというにつけにんそくはちにんがかりにしてかのたにの
急 流 を渡 リ誠 尓あやうき事 命 かけなり
きゅうりゅうをわたりまことにあやうきこといのちがけなり
(大意)
略
(補足)
「皆々感心春る」その銅版画ときっと同じものだろうとおもわれるものがネットで何枚か確かめることができます。
「廿三日」、天明8年七月廿三日。1788年8月24日。
「ところ能者」、『ところのひと 【所の人】その土地の人。所の者。「―にたづねばやと存ずる」〈狂言・通円•虎寛本〉』
江漢さんは旅に出てすぐに家に帰りたくなること数度、また地元の人が暴風雨大嵐の川を渡るときに死んでしまったりという最悪の天候の中、それでも鈴木氏の家に戻りたいと八人もの人足を頼んで(その人たちことなど心配はこれっぽちもしてない模様)、帰ろうとしています。不安感の強い人というか、気分の浮き沈みの激しい人というか、どこか常人とはことなった心の持ちようをする人だったような気がします。
「何分かえり多しと云尓付ケ」と、しつこく子どものように「帰りたい帰りた〜い」と駄々をこねるようなことをしたのかと・・・いい歳をしたおじさんならば山奥でこんな大荒れのときは、じっと待つのが大人の判断だとおもうのですけど、そんなことはおかまいなし、困ったものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿