P20 東京国立博物館蔵
(読み)
十 四 日天 氣トナル今 日ハ中 元 能御祝 儀とて
じゅうよっかてんきとなるきょうはちゅうげんのごしゅうぎとて
一 村 皆 々禮 尓至 ル昼 喰 ニハ餅 ニ小 豆を付
いっそんみなみなれいにいたるちゅうじきにはもちにあずきをつけ
て喰 春其 夜も前 夕 能通 りツンツク踊 リあり
てしょくすそのよもぜんゆうのとおりつんつくおどりあり
おと里と云 ニハ非 ス只 手と手を取 伸(ノヒ)多り屈(カゞン)多り
おどりというにはあらずただてとてをとり のび たり かがん だり
春る能ミ誠 尓田 舎能おとりなり婦人 も綿帽(ワタボウ)
するのみまことにいなかのおどりなりふじんも わたぼう
子(シ)をか武里禮 尓歩 くなり
し をかむりれいにあるくなり
十 五日 天 氣朝 飯 料 理もなしズイキ酢あゐ
じゅうごにちてんきあさめしりょうりもなしずいきすあい
小 豆を坪 ニ入 付 多 能ミ日暮 より亀(キ)六 同 道
あずきをつぼにいれつけたるのみひぐれより き ろくどうどう
して四 日市 尓行キ盆 踊 を見ル桑 名此 邊 ハ
してよっかいちにゆきぼんおどりをみるくわなこのへんは
川 﨑 おんどとて女 郎 お山 あミ笠 をか武り
かわさきおんどとてじょろうおやまあみがさをかぶり
(大意)
略
(補足)
「十四日」、天明8年七月十四日。1788年8月15日。
「中元」、『ちゅうげん【中元】〔道教で,人間贖罪(しよくざい)の日として神をまつった日。上元・下元とともに三元の一〕
① 旧暦7月15日のこと。元来,道教の習俗であったが,のちに仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され,死者の霊を供養する』。
「祝義」、「祝儀」。
「ズイキ酢あゐ」、ズイキ酢和え。ずいきの和物。ズイキは【〈芋茎〉】① サトイモの茎。干したものはいもがらといい,食用とする。
「四日市尓行キ盆踊」、江漢の西遊旅譚一に画があります。
こちらは四日市諏訪明神祭。
お中元やお歳暮の風習は、わたしが小さかった頃はそれぞれ届ける人がきちんと挨拶を兼ねて直接、家に届けていたことが多かったようにおもいます。現在は宅配業者がほとんどになりました。
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