P14 東京国立博物館蔵
(読み)
家(イヱ)能可原 本 野ガ原 此 間 ニして木なく
いえ のがはらほんのがはらこのあいだにしてきなく
木陰(カケ)なくして誠 尓暑 シ夫 より松 原 を
こ かげ なくしてまことにあつしそれよりまつばらを
行 事 一 里余 漸 ク尓して御油(ゴユ)往 来 へ出
ゆくこといちりあまりようやくにして ごゆ おうらいへで
多り掛 川 より入りて爰 迄 五十 町 一 里尓
たりかけがわよりいりてここまでごじっちょういちりに
して二十 七 里大 難 所 なり七 月 朔
してにじゅうしちりだいなんしょなりしちがつつい
日 也 角 屋宿 ヲ出 立 し多る日なりご油ヘ出て
たちなりかどやしゅくをしゅったつしたるひなりごゆへでて
け連ハ誠 尓江戸へかえ里多る心 ちし多り
ければまことにえどへかえりたるここちしたり
赤(アカ)坂 宿 八 文 字や市 三 郎 方 ニ泊 ル
あか さかしゅくはちもんじやいちさぶろうかたにとまる
七 月 二 日能キ天 氣至 テ暑 シ赤 坂 ヲ正 六ツ
しちがつふつかよきてんきいたってあつしあかさかをしょうむつ
時 尓出 立 して岡 崎 ニ至 ル尓四ツ時 少 過 ナリ
どきにしゅったつしておかざきにいたるによつどきすこしすぎなり
(大意)
略
(補足)
一行目の「原」の右下に句点「。」が付いています。
「七月朔日」、天明8年七月一日。1788年8月2日。
「角屋宿ヲ出立し多る」、門屋宿。修正する前は「泊リシ」とあります。
「御油・赤坂・岡崎」、昨日と同じ「秋葉山参詣道法図」、
よく見ると宿場(村)から宿場(村)まで一リ、一リ半 or 御油から赤坂まで十六丁(東海道の宿場の中で最も短い。また松尾芭蕉「「夏の月 御油より出でて 赤坂や」が有名)などと距離が示されています。
賑やかな御油宿そして赤坂宿へ出て、江戸が恋しくなてしまった江漢さん、気持ちはわからないでもありません。
赤坂宿から藤川宿までが2里9町(8.8km)、藤川宿から岡崎宿までが1里25町(6.7km)なのであわせて15.5km。江漢さんは「正六ツ時(朝6時)尓出立して岡崎ニ至ル尓四ツ時(10時)少過ナリ」でしたので約4時間かかっています。一里(4km)を約1時間が歩く標準の速さですから、速くもなく遅くもないという歩調であったことがわかります。
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