P1 東京国立博物館蔵
(読み)
麓 の前 尓瑞 雲 坂 下 り瑞 雲 寺あり夫 よりして
ふもとのまえにずいうんさかくだりずいうんじありそれよりして
小 天 龍 と云 川 亦 乾 川 舟 渡 し乾 村 アリ
しょうてんりゅうというかわまたいぬいかわふなわたしいぬいむらあり
人 家津々く又 麓 迄 ニ坂 アリ爰 まて掛
じんかつづくまたふもとまでにさかありここまでかけ
川 より五十 町 九 里の路 なり山 々 高 く杉 松 の
がわよりごじゅっちょうきゅうりのみちなりやまやまたかくすぎまつの
木茂 ル秋 葉参 詣 能往 来 なれハ山 中 と
きしげるあきはさんけいのおうらいなればさんちゅうと
いえど酒 等 アリ泊 リをスル家 モアリ樵 婦も
いえどさけなどありとまりをするいえもありしょうふも
田婦も山 中 といえとひんさしを入 髪 を結ウ
たふもさんちゅうといえどびんさしをいれかみをゆう
なり麓 より山 尓登 る事 五十 町 なり先
なりふもとよりやまにのぼることごじゅっちょうなりまず
唐 か年能鳥 居尓額 アリ金 明 嶺 とあり
からかねのとりいにがくありきんめいりょうとあり
三 十 町 過 て山 門 尓最 勝 関 とアリ本 堂 ニ
さんじゅっちょうすぎてさんもんにさいしょうかんとありほんどうに
(大意)
略
(補足)
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいします。
青空快晴の元旦です。気持ちいいね♪
本日から、(江漢西遊日記二)のはじまりです。
最初の一文字目から、「林」+「廉」のようなくずし字です。「麓」でした。
「乾川」、「乾村」、ともに「乾」は「犬居」。
秋葉街道のにぎわいは険しい山路にもかかわらず、かなりなものだったようで、ネットのコトバンクから引用ですが、このようにありました。
『南から登る道が表参道。東海道掛川宿の西にある秋葉鳥居をくぐって秋葉街道に入る。この鳥居は「東海道名所図会」をはじめ各種の浮世絵に描かれ、シーボルトもケンペルも記録している。ここから秋葉山までの間で人馬継立ができるところは森もりと三倉みくら(ともに現森町)、堀之内ほりのうち村の小奈良安こならやすと犬居いぬい(ともに現春野町)であった。森の町は遠州の小京都といわれ、旅籠屋や茶店・商店が並んでいたので「遠州森町なぜ日がささぬ、秋葉道者の笠の蔭」と歌われるほど秋葉道者で賑わっていた。ここから三倉川に沿って進み、曲がりくねった川には橋も渡船もないから川の中を何度も渡って行かなくてはならなかった。このことから三倉川を四十八瀬しじゆうはつせ川とか伊呂波いろは川といった。滝沢馬琴は「いろはにほへとほつあふみや仮名の数四十八瀬も越えていつ京」と歌っている(羇旅漫録)。たくさんの川を渡り終えて一いちノ瀬せ(現森町)に着くと「川祝」の酒を飲む人もいた』。
「ひんさし」、『びんさし鬢差し】
女子の結髪用具の一つ。鬢の髪を振り出させるために,その中へ挿入する具。鯨のひげまたは銅線をまげて弓のような形にしたもの。江戸中期に流行した。上方では「鬢張り」と称した』。
「五十町九里の路なり」、一町は六十間、約109m。一里は36町、約3927.3m。この距離を求めると、なんと約40.796km。平坦な道ではなくて、急峻な山坂に幾筋もの川があるところでのこの距離です。昔の人達はまったく恐ろしいほどに健脚なことかとおもいます。そしてたくさんの人たちで秋葉参詣の街道はにぎわったのですから、うーん、すごい!
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