P17 東京国立博物館蔵
(読み)
行 の時 駕籠へ直奏(ソウ)し多ると状 の中 ニあり
こうのときかごへじき そう したるとじょうのなかにあり
七 日天 氣晩 方 雨 バラツク庭 ニて蝉 能ヌ
なのかてんきばんがたあめばらつくにわにてせみのぬ
ケルを見ル兎角 癪 氣なり
けるをみるとかくしゃっきなり
八 日雨 今 日も不快 夜 も不眠
ようかあめきょうもふかいよるもねむらず
九 日曇 ル後 天 氣不快 少 々 よろし亀(キ)
ここのかくもるのちてんきふかいしょうしょうよろし き
六 と四 日市 築 地と云 処 ノ高 尾九 兵衛と岡
ろくとよっかいちつきじというところのたかおきゅうべえとおか
三 英 右 の者 と倡 家ニ能ぼる酒 を呑ミて日
さんえいみぎのものとしょうかにのぼるさけをのみてひ
暮 かえりぬ三 英 女 房 吾 ニ向 ヒ行(ユカシツ)てゴサリ
ぐれかえりぬさんえいにょうぼうわれにむかい ゆかしつ てごさり
マセとハモウお出サルカと云 事 也 サイセンとハ四
ませとはもうおでさるかということなりさいせんとはし
五日 も過 多る事 を云フ此 地能言(コトハ)なり
ごにちもすぎたることをいうこのちの ことば なり
(大意)
略
(補足)
「直奏」、駕籠訴(かごそ。江戸時代の越訴(おつそ)の一。幕府の高官や大名などが駕籠で通行するのを待ち受けて,訴状を投げ入れたりして直接訴え出ること)。
「七日」、天明8年七月七日。1788年8月8日。
「亀六」、岩清水亀六。滝沢馬琴も「羇旅漫録」の中で「勢州追分内日永村に、岩清水亀六という人あり」と伊勢の好事家を紹介している、残念ながら会えなかったようです。
「高尾九兵衛」、土地の名家で文学を好み、当時雅人の間に交友が多かった。後年、本居宣長の長女飛騨が再縁した相手である、とありました。
体調不調の中、セミが脱皮するのを見たとありますが、脱皮するのはたいてい日の出前頃、それとも脱皮した抜け殻を見たのか、どっちにしても気分的なものだったのかもしれません。ちょっと回復したら遊びに出かけているし・・・
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