2025年1月13日月曜日

江漢西遊日記二 その13

P17 東京国立博物館蔵

(読み)

行 の時 駕籠へ直奏(ソウ)し多ると状  の中 ニあり

こうのときかごへじき そう したるとじょうのなかにあり


七 日天 氣晩 方 雨 バラツク庭 ニて蝉 能ヌ

なのかてんきばんがたあめばらつくにわにてせみのぬ


ケルを見ル兎角 癪  氣なり

けるをみるとかくしゃっきなり


八 日雨 今 日も不快 夜 も不眠

ようかあめきょうもふかいよるもねむらず


九  日曇 ル後 天 氣不快 少  々  よろし亀(キ)

ここのかくもるのちてんきふかいしょうしょうよろし  き


六 と四 日市 築 地と云 処  ノ高 尾九  兵衛と岡

ろくとよっかいちつきじというところのたかおきゅうべえとおか


三 英 右 の者 と倡  家ニ能ぼる酒 を呑ミて日

さんえいみぎのものとしょうかにのぼるさけをのみてひ


暮 かえりぬ三 英 女  房 吾 ニ向 ヒ行(ユカシツ)てゴサリ

ぐれかえりぬさんえいにょうぼうわれにむかい  ゆかしつ てごさり


マセとハモウお出サルカと云 事 也 サイセンとハ四

ませとはもうおでさるかということなりさいせんとはし


五日 も過 多る事 を云フ此 地能言(コトハ)なり

ごにちもすぎたることをいうこのちの  ことば なり

(大意)

(補足)

「直奏」、駕籠訴(かごそ。江戸時代の越訴(おつそ)の一。幕府の高官や大名などが駕籠で通行するのを待ち受けて,訴状を投げ入れたりして直接訴え出ること)。

「七日」、天明8年七月七日。1788年8月8日。

「亀六」、岩清水亀六。滝沢馬琴も「羇旅漫録」の中で「勢州追分内日永村に、岩清水亀六という人あり」と伊勢の好事家を紹介している、残念ながら会えなかったようです。

「高尾九兵衛」、土地の名家で文学を好み、当時雅人の間に交友が多かった。後年、本居宣長の長女飛騨が再縁した相手である、とありました。

 体調不調の中、セミが脱皮するのを見たとありますが、脱皮するのはたいてい日の出前頃、それとも脱皮した抜け殻を見たのか、どっちにしても気分的なものだったのかもしれません。ちょっと回復したら遊びに出かけているし・・・

 

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