P22 国文学研究資料館蔵
(読み)
[命 を満とに可ける]
いのちをまとにかける
「さむらいの命 ハ多とへバ
さむらいのいのちはたとえば
へんとうもち能べんとう
べんとうもちのべんとう
やりもちのやりのごとし
やりもちのやりのごとし
なぜといふ尓べんとう
なぜというにべんとう
もちのべんとうハ
もちのべんとうは
和可゛もち奈可゛ら
わが もちなが ら
王可゛もの尓あらす
わが ものにあらず
やりもちのやりも
やりもちのやりも
満さ可のと起ハ
まさかのときは
多゛ん奈もの
だ んなもの
なりさむらい
なりさむらい
の命 ハ可年てきミへ
のいのちはかねてきみへ
さしあげておく
さしあげておく
命 奈れバ王可゛命 尓て
いのちなればわが いのちにて
和可゛ものにあら須゛
わが ものにあらず
ことあると起ハ
ことありときは
命 をまと尓可け
いのちをまとにかけ
て者多ら可ねバち うぎの
てはたらかねばちゅうぎの
人 とい和
ひとといわ
れ
れ
ざる
ざる
なり
なり
(大意)
侍の命はたとえば、弁当持ちの弁当、槍持の槍のようである。なぜかというと、弁当持ちの弁当は、自分で持ちながら我がものではない。槍持の槍も、いざとなったときは主人のものである。侍の命は、あらかじめ主君にあずけてある命であるから、自分の命ではあるが我がものではない。事あるときは命を的にかけて働かねば、忠義の人といわれないのである。
(補足)
「へんとうもち能」、「と」の一画目の出だしが欠けてしまっているので「と」に見えづらい。
「命」を文字通りというか絵の通りというか、的にかけているという、侍の生きる様をきつい洒落にしています。侍二人弓の練習を真剣にしているところ、しかしどこか力を込めている感じがしないのは、京伝の画力不足だけではなさそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿