P54 東京国立博物館蔵
P55
(読み)
P54
庵原 山 中
いはらさんちゅう
此 奥 北 瀧 アリ
このおくきただきあり
一 村 紙 ヲスク
いっそんかみをすく
爰 ニ十 五日
ここにじゅうごにち
留 ル
とまる
柴 田権 左衛門
しばたごんざえもん
山 梨 平 四郎 酒 造
やまなしへいしろうしゅぞう
庵原 川
いはらかわ
P55
あり者゛ん茶 を仕出ス処 ナリ爰 ヨリ流 川 を
ふしょうありば んちゃをしだすところなりここよりながれかわを
渡 ル事 六 瀬なり山 中 ニして人 家アリ此ノ
わたることろくせなりさんちゅうにしてじんかありこの
河 を太 田川 と云 一 里半 行キ人 家十 軒
かわをおおたかわといういちりはんゆきじんかじっけん
保とアリ人 も畄 ルと見ユ夫 より三倉 と云
ほどありひともとまるとみゆそこよりみくらという
処 爰 も八 九軒 人 家アリ酒 等 アリ人 も
ところここもはっくけんじんかありさけなどありひとも
とめる春べて此 河 を四十 九瀬渡 ル皆
とめるすべてこのかわをしじゅうくせわたるみな
同 し流 レなり三倉 ヨリ一 の瀬まて半 里
おなじながれなりみくらよりいちのせまではんり
一 の瀬より婦もとまて三 里と云 椀 や
いちのせよりふもとまでさんりというわんや
と云 家 ニ泊 ル
といういえにとまる
(大意)
略
(補足)
この絵が日記に書かれている部分は(その40)P45、江漢さんが山梨家より出立のときに見送られた大門があり、二人の人影があります。
「庵原」、この日記の中で江漢さんは「ゆはら」とフリガナをふっています。現在は「いはら」。
「爰ニ十五日留ル」、(その32)P37の部分が6月7日、(その39)P44が出立した6月20日なので、正確には13日泊まったことになります。
江漢が日記の中で記した通り、画のほうもそのように描かれています。山梨家でつくられた酒はこの川で運ばれたのか、それとも小さな街道があって荷車だったのか、あるいはごく地元だけで消費される分量の生産で菰樽程度のものを人力で運んだのか、酒飲みのジジイは気になるところであります。こんなところへ行ってみたいものです。
秋葉街道の掛川・森・三倉・一ノ瀬の詳しい画像です。『秋葉街道案内資料IV「掛川から森・三倉・犬居・秋葉山へ」』(http://www2.wbs.ne.jp/~ota/akihakaidoannaishiryo-4.pdf)より無断(ゴメンナサイ)で拝借しました。
かなり険しい山道と河の瀬をたくさん渡らねばならない、難路であったこととおもいます。
さてここまでが第一冊となり、きりよく2024年大晦日の区切りとなりました。
よいお年を。