2024年12月16日月曜日

江漢西遊日記一 その33

P38 東京国立博物館蔵

(読み)

八 日天 氣昼 比 同 所 川 を越 て向 フなり山梨(ナシ)

ようかてんきひるごろどうしょかわをこえてむかうなりやま なし


平 四郎 方 ヘ参 ル之 も冨家ニて酒 造 なり

へいしろうかたへまいるこれもふかにてしゅぞうなり


子共 兄  弟 三 人 兄 ハ画を好 ミ次男 ハ多蔵

こどもきょうだいさんにんあにはえをこのみじなんはたぞう


と云ツて劔(ケン)術  を好 ミ三 男 醫者 也 量  平 ト

といって  けん じゅつをこのみさんなんいしゃなりりょうへいと


云フ甲 州  八 代 郡 石 和村 の者 信 州  野田

いうこうしゅうやつしろぐんいさわむらのものしんしゅうのだ


曽根榮 治門 人 同 村 同 所 内 藤 一 新

そねえいじもんじんどうそんどうしょないとういっしん


斎 門 弟 小野一 統(トヲ)流  山 中 幸 太良 と

さいもんていおのいっ  とう りゅうやまなかこうたろうと


云フ者 也 劔 術  御好 ミの方 之 あると申  事 承

いうものなりけんじゅつおこのみのかたこれあるともうすことうけたまわり


およひ候   夫 故 参  申  候   と(ト)

およびそうろうそれゆえまいりもうしそうろうと


申  故 どふ場(セ ウ)へとをし

もうすゆえどう  じょう へとおし


仕合 を能そミ个る我 等モ坐ニ連ラなり

しあいをのぞみけるわれらもざにつらなり

(大意)

(補足)

「八日」、六月八日。西暦1788年7月11日。

「山梨(ナシ)平四郎」、江戸時代の漢詩人・説文学者山梨稲川(とうせん)(1771〜1826)の父、維良。

「兄弟三人」、平四郎の子は、五男二女の計7人。

「量平」、亮平。このとき23歳。普賢寺の僧一麟について学び、のちに京都に赴き畑黄山の門に入り医術を修めた。郷里に戻り、この天明八年ののち三年にして病死している、とありました。

 時代小説やTV・映画などでおなじみの道場破り、ここでは荒々しいものではありませんが、実際の道場での仕合を申し込む様がかかれていて、なかなか愉快。ほんとにこんな風に申し込んでいたのですね。

 

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