2024年12月28日土曜日

江漢西遊日記一 その45

P50 東京国立博物館蔵

(読み)

なる者 爰 ヨリボクとして津れる五時過 ニ立

なるものここよりぼくとしてつれるごじすぎにた


ツ兄  弟 金 宝 を餞 別 ニ贈 ル大 主 人 ハ江戸ヘ

つきょうだいきんぽうをせんべつにおくるおおしゅじんはえどへ


出てる春コレハ能(ノー)ランブを好 ム故 尓不逢 大

でてるすこれは  のう らんぶをこのむゆえにあわずおお


門 を開 キ外(ソト)まて出テ送 ル夫 より瀬戸川 を

もんをひらき  そと まででておくるそれよりせとがわを


渡 ル松 原 ヘ出ル左  尓土手如 きハ金 谷原 ト

わたるまつばらへでるひだりにどてごときはかなやはらと


云 大 井河 漲  リ八 十  八 文 川 連 臺 ニて渡 ル金ナ

いうおおいがわみなぎりはちじゅうはちもんかわれんだいにてわたるかな


谷棒 ハヅレニて中  喰を春右 ノ方 ニ城 ノ址(アト)と

やぼうはずれにてちゅうじきすみぎのほうにしろの  あと と


て山 の形  アリ皆 往 来 山 坂 路 半 里程 を

てやまのかたちありみなおうらいやまさかみちはんりほどを


過 てかえり見れハ金 谷宿  直(マ)下 ニ見ヘ向 フ尓

すぎてかえりみればかなやしゅく  ま したにみえむこうに


大 井河 幾 瀬ニもなりて流 ル其 亦 向 フ冨

おおいがわいくせにもなりてながるそのまたむこうふ

(大意)

 ここのところ、ずっと大意は省略しています。246年前の日記ではありますが、そのままで十分に意味がわかりますし、わたくしの変な説明よりもそのままのほうがずっと良く味もあるとおもうので、大意は今後も控えます。

(補足)

「ボク」、下男。召し使い。

「五時過」、ここでは朝8時過ぎ。

「過」のくずし字は「る」+「辶」。「迄」は「占」+「辶」。似ているので注意です。

「能(ノー)ランブ」、なんのことかと悩みました。お能と乱舞(中世以後,能の演技の行われる間に舞うものも乱舞と称した)でした。

「大門を開キ外(ソト)まて出テ送ル」、大塚家は地元の富豪で屋敷を構えていたのでしょう。見事な大きな門があったにちがいありません。

「川連臺ニて渡ル」、酒匂川のかち渡しでも同様にして使用した。

「中喰」、昼食。

「金谷宿直(マ)下ニ見ヘ」、地図で確かめるとこのあたり。 

「直(マ)下」と振り仮名があるので、真下でしょうけど、フリガナがなかったら直下(ちょっか)でもOKでした。

 

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