2024年12月18日水曜日

江漢西遊日記一 その35

P40 東京国立博物館蔵

(読み)

坊 多蔵 を連(ツ)れ田のあせ山 能腰シムセ ウニ

ぼうたぞうを  つ れたのあぜやまのこしむしょうに


歩しスッホンなし故 ニ道 ニより酒 ヲ呑 て

ほしすっぽんなしゆえにみちによりさけをのみて


かえる

かえる


十  一 日 天 氣川 ノ向 フ柴 田権 左衛門 方 へか

じゅういちにちてんきかわのむこうしばたごんざえもんかたへか


つ保振 舞 ニ参 ル江尻(シリ)海 ニて取ル魚 也

つおふるまいにまいるえ  じり かいにてとるうおなり  


十  二日 雨天 全躰  江尻 迄 帰 り多るハ府中  ニ

じゅうににちうてんぜんたいえじりまでかえりたるはふちゅうに


長 ク居タルハ兎角 氣不勝  大 田原 侯 仰(ヲゝセ)

ながくいたるはとかくきぶしょうおおたわらこう  おおせ


ニハ夫 ニてハ長 崎 迄 おぼ川可なし一 先 江

にはそれにてはながさきまでおぼつかなしひとまずえ


戸ヘ帰 リて出直(ナヲ)ス可宜  可る遍しと能事 故 先

どへかえりてで  なお すがよろしかるべしとのことゆえまず


帰 る氣ニて爰 迄 参 リ多るなり然 ル尓此庵(ユ)原

かえるきにてここまでまいりたるなりしかるにここ ゆ はら

(大意)

(補足)

「十一日」、六月十一日。西暦1788年7月14日。

「江尻(シリ)海」、この画像の中央あたりが江尻村。鰹はその前の海でとれたか。 

「全躰」、『(副)① おおもとのところを考えるさま。もともと。元来。「―こんなことを言い出した君が悪い」「―お前,気が小さ過ぎらあ」〈夜行巡査•鏡花〉』

 大田原侯のおっしゃったこの台詞、以前にもどこかで聞いたことのあるような?

江戸を出発してすぐ、戸部村の善三郎さんに言われてました。

「夫にては長崎迄はおぼつかなし。爰より伊豆、熱海に湯治して江戸へお帰り」

蕎麦をすすりながら、しょげかえっている江漢さんでしたが、なんとかここ駿河は府中まできたものの、またまたの気のふさがりという江漢さん自分でもわかっていてもどうにもできず、もともと江尻まで戻ってきたのは戻ろうとおもってそうしたのだと、言い訳がましいことをのたまわっています。

 

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