2024年12月30日月曜日

江漢西遊日記一 その47

P52P53 東京国立博物館蔵

(読み)

金 谷臺 ヨリ見下 ス圖

かなやだいよりみおろすず


下 ノ町 ハ金(カナ)谷宿

したのまちは  かな やしゅく


ナリ

なり


大 井河 幾 瀬ニも

おおいかわいくせにも


なりて流  ル

なりてながれる


足 高 山

あしだかやま


大 井河

おおいかわ

P53

信 州  山

しんしゅうさん


雪降

ゆきふり


城  趾

じょうし

(大意)

(補足)

 足高山とありますが、その名前の山は見つけることが出来ませんでした。似た名前のものは八高山(はっこうさん)ぐらいしかみあたりません。山の名前はそうそう変わるものではないので、江漢さんの勘違いかも。

 金谷宿の屋根がくの字になって大きな宿場のように描かれています。実際『天保十四(1843)年の記録『東海道宿大概帳(だいがいちょう)』によると、金谷宿の全長は東西16町24間、宿内人口は4,271人、宿内家数は1,400軒でした』とあり、東海道五十三次の主要な駅のひとつであったとありました。

左端の「城趾」は、「諏訪原城は、遠江国榛原郡金谷にあった戦国時代の日本の城」のことでしょうか。

 江漢さんの絵はいつもながら日本の湿潤なやわらかいうるおった筆使いで空気感が感じられます。また遠近感をだすためか、手前の山々の線は太く、遠くになるに従って筆の線が細く薄くなってます。

 西洋暦では7月なので富士山は雪をかぶっていません。「信州山」とある南アルプス方面の山々は「雪降」とあるので、夏でも残雪があったのでしょう。

 

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