2024年12月13日金曜日

江漢西遊日記一 その30

P35 東京国立博物館蔵

(読み)

酒 一 向 尓不呑メ故 尓酒 肴 ハ別 ニ申  付 取 よ

さけいっこうにのめずゆえにしゅこうはべつにもうしつけとりよ


せるなり地ま和里とてサラシ能手拭 ヒを

せるなりじまわりとてさらしのてぬぐいを


保うか武里ニしてそめく者 あり酒 さへ呑ま

ほうかぶりにしてぞめくものありさけさえのま


春れハ坐しきへ参 リ多ゐこを持 なり亦 爰

すればざしきへまいりたいこをもつなりまたここ


尓酒 楽 とて其 比 通 人 あり然(サ)ル尓江戸吉

にしゅらくとてそのころつうじんあり  さ るにえどよし


原 ハ爰 より来 ルと云 故 ニヤ見世コーシ吉

わらはここよりきたるというゆえにやみせこーしよし


原 能趣  きなり然  ニ女 良 能見世尓並 ヒ様 尓

わらのおもむきなりしかるにじょろうのみせにならびように


違 ヒアリコーシ能処  横コなり暖(ノウ)連んの内 ニ入 て

ちがいありこーしのところよこなり  のう れんのうちにいりて


横 の処  正  面 なりうちかけニて並 ヒ多る見せ

よこのところしょうめんなりうちかけにてならびたるみせ


付 吉 原 風 なり夜 尓入  雨 風 爰 ニ泊 リてよく

つきよしわらふうなりよるにはいりあめかぜここにとまりてよく

(大意)

(補足)

「取りよせる」、「取」のくずし字はここではほぼそのままのかたち。この6行あとに「趣」があって、これに「取」があり、ここは「取」のくずし字が使われるかたちがほとんどなのですが、江漢はこのぶぶん適当にごまかしています。

「地ま和里」、「和」がカタカナ「ワ」のようになっています。

「保うか武里」、変体仮名を学んでないと読めません。

「そめく」、『ぞめ・く 2【騒く】(動カ四)〔古くは「そめく」と清音〕

① うかれさわぐ。「人は佳節とて―・けども」〈三体詩絶句抄•5〉

② 遊郭や夜店をひやかしながら歩く。「どれ,―・いて来うか」〈歌舞伎・韓人漢文手管始〉』

「酒楽」、安永9年(1780)に、二丁町の細見を刊行した人。この細見はかなり流布したらしく、享和2年(1802)夏、滝沢馬琴が5日ほど駿府に滞在したとき、二丁町の廓で遊び、この細見を持ち帰っている、とありました。

「コーシ」はもちろん「格子」。

「江戸吉原ハ爰より来ルと云」、二丁町遊廓は吉原よりも先に作られた日本初の官許の遊廓であり、二丁町遊廓は吉原の起源である。そのため、駿府に訪れた者の多くが二丁町の様子や遊興の様子などを記している。詳しくはネットに「駿府二丁町遊廓の遊女屋と遊女」杉山 拓大(鍛治 宏介ゼミ)の論文があります。

「暖(ノウ)連ん」、『のうれん 【暖簾】〔「のう」は「暖」の唐音「のん」の転〕

→のれん(暖簾)に同じ。「橘の―掛りて」〈浮世草子・日本永代蔵1〉』

 江漢さんは遊廓の通人とみえ、吉原のもととなったここ二丁町に好奇心爆発です。

 

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