2024年12月6日金曜日

江漢西遊日記一 その23

P27 東京国立博物館蔵

(読み)

廿   三 日 雨天 終  日 画ヲ描ク去 年 今 日米 拂

にじゅうさんにちうてんしゅうじつえをかくきょねんきょうこめふっ


底 ニして天 下亂 をな春宿 元 を出て今 日

ていにしててんからんをなすやどもとをでてきょう


迄 三 十  日 を過 多り手代 能話  ニ云 此 在 所

までさんじゅうにちをすぎたりてだいのはなしにいうこのざいしょ


ニワラシナ村 アリ百  姓  トチ沢(サハ)五郎 右衛門と

にわたしなむらありひゃくしょうとち  さわ ごろうえもんと


云 者 ハ先 祖ハ京  都東 福 寺ノ開 山 ニて今

いうものはせんぞはきょうととうふくじのかいざんにてこ


年 五百  年 忌とて東 福 寺より尋  来 リ

としごひゃくねんきとてとうふくじよりたずねきたり


し尓其 子孫 五郎 右衛門東 福 寺ヘ参  多ると

しにそのしそんごろうえもんとうふくじへまいりたると


いう


廿   四 日曇  元 通  町  小判 屋源 右衛門方 ヘ参

にじゅうよっかくもりもととおりちょうこばんやげんえもんかたへまいる


本 膳 なと出し酒 肴 以 テ馳走 ニなり日暮 ニ

ほんぜんなどだししゅこうもってちそうになりひぐれに

(大意)

(補足)

「去年今日米拂底ニして天下亂をな春」、天明7(1787)年5月22日の江戸打ちこわしのこと。江戸では1,000軒の米屋と8,000軒の商家が襲われ、さらに打ちこわしは全国に波及し、幕府の政治機能は大混乱した。これを機に田沼意次は失脚し、一週間ほど前に安倍川の川留で庄蔵方へ宿泊した白川越中守こと松平定信が寛政の改革をすすめた。

「宿元を出て今日迄三十日を過多り」、江戸の長屋を出発したのが4月23日昼過ぎでしたので、ちょうど1ヶ月になります。「迄」のくずし字は「占」+「辶」、「過」は「る」+「辶」、似ているので注意です。

「過多り」、すごしたり or すぎたり。読みはどっちでしょう?

 

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