P49 東京国立博物館蔵
(読み)
府中 ニ置けり飛脚 ヲ以 テ取 よせんと云 けれ
ふちゅうにおけりひきゃくをもってとりよせんといいけれ
ハ兄 弟 早 々 飛脚 を遣 シ取 よせ希る爰 より
ばきょうだいそうそうひきゃくをつかわしとりよせけるここより
五里往 来 十 里なり蝋 画パウリユスと云フ
ごりおうらいじゅうりなりろうがぱうりゆすという
半 身の異人 像 なり髭(ヒゲ)のチリ\/とし多る
はんみのいじんぞうなり ひげ のちりちりとしたる
処 誠 尓活 ルガ如 し見 物 能者 奇意能思 ヒ
ところまことにいきるがごとしけんぶつのものきいのおもい
をな春亦 地球 のづを以 テ世界 能事 を話(ハナス)
をなすまたちきゅうのずをもってせかいのことを はなす
聞く者 此 様(ヨウ)なる者なしハ初 メてなり感心(カンシン)
きくものこの よう なるはなしははじめてなり かんしん
春る
する
廿 五日 天氣 蝋 画を描ク皆 々 きもヲツブス
にじゅうごにちてんきろうがをかくみなみなきもをつぶす
廿 六 日 天 氣小西 庄 兵衛可せがれ十 六 歳 ニ
にじゅうろくにちてんきこにししょうべえがせがれじゅうろくさいに
(大意)
略
(補足)
「往来」、辞書には「往復」の意味は見つかりませんでしたけど、ここでは「往き来」の意。
「蝋画パウリユスと云フ半身の異人像」、聖パウロの上半身の油絵のこと。ご禁制の画を持ち歩いていたばかりでなく、皆に見せていたようであります。
「廿五日」、六月廿五日。西暦1788年7月28日。
ご禁制の画を見せたり、地球の図を見せて世界の話をしたり、油絵を見物人の前で描いてみせたり、などなどしたら、その場にいた人たちはどうしても他の人たちにそれらのことを話したくてたまらなくなるものだろうとおもうのですけど、どうだったのでしょうか。
すぐに町方や役人にそれらの噂が伝わって、お縄になるなどとは考えなかったのかどうか、今になって心配しても始まりませんけど、きっと好奇心のぶつかり合いだったのでしょう。
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