P41 東京国立博物館蔵
(読み)
尓居て三 人 の兄 弟 と共 尓酒 を呑ミ誠 ニ
にいてさんにんのきょうだいとともにさけをのみまことに
宿 なし能如 く一 向 ニ苦なし故 尓や
やどなしのごとくいっこうにくなしゆえにや
氣分 能くなり个連ハ亦 ゝ 長 崎 ヘ往カン
きぶんよくなりければまたまたながさきへゆかん
と思 ふなり此 節 雨 天續 キ大 井河
とおもうなりこのせつうてんつづきおおいがわ
漲 リ个連ハ見合 て先ツ爰 ニ居ル
みなぎりければみあわせてまずここにいる
十 四 日雨 天寒 々 袷 セを用 ユ
じゅうよっかうてんさむざむあわせをもちゆ
十 五日 雨 三 男 亮 平 ハ本 宅 ヨリハ三 町
じゅうごにちあめさんなんりょうへいはほんたくよりはさんちょう
ほど隔 リ四面 皆 田ニて一 軒 家なり誠 ニ
ほどへだたりしめんみなたにていっけんやなりまことに
寂黄(バク)として人 語なし其 夜泊 ル大 雨
せき ばく としてじんごなしそのよとまるおおあめ
楽 山 亭 の額 在 誠 尓山 四面 ヲ廻 る
らくざんていのがくありまことにやましめんをめぐる
(大意)
略
(補足)
「誠ニ」、この頁に3箇所使われています。
「氣分」、「分」のくずし字はよく出てきます。「彡」+「丶」。
「亦ゝ長崎ヘ往カン」、またまたと繰り返しているのは、前回戸部村でもあったことが気になっているはず。さらに、長崎へ往く決心(そのためか「長崎」は楷書でクッキリ)がついているのに、まだここにいるのを大雨で大井河が渡れないせいにしている。自分でも情ぬとおもっているのがあきらかであります。
「十四日」、六月十四日。西暦1788年7月17日。
「亮平」、前のところでは「量平」だったが、こちらが正しいようです。
「寂黄(バク)」、寂寞。
「楽山亭」、かって僧一麟が居たところで、山梨平四郎の当年18歳になる四男東平(稲川)が9歳から兄亮平と共に句読(くとう)を学んだところである、とありました。
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