P45 東京国立博物館蔵
(読み)
他国 の産 れなり婦人 老 ルまて後 ロ帯 ニ春る
たこくのうまれなりふじんおいるまでうしろおびにする
冬 ハ不寒 雪 も大 ク不積 夏 ハ忽 チ氣候
ふゆはさむからずゆきもおおくつもらずなつはたちまちきこう
變 して冷 氣トナル是 ハ冨士ヨリ冷 際 の風
へんしてれいきとなるこれはふじよりれいさいのかぜ
を吹 おろ春故 ト云 庵原 ハ江尻 と沖 津の北
をふきおろすゆえというゆはらはえじりとおきつのきた
能方 ヘ一 里山 ニ入 庵原 川 僅(ワツカ)なる流 レ尓て
のほうへいちりやまにはいりゆはらかわ わずか なるながれにて
其 左右 ニ人 家アリ山 梨 柴 田川 の左右 尓
そのさゆうにじんかありやまなししばたかわのさゆうに
アリ此 両 家能ミ冨家也 川 の上 ハ北 瀧 とて
ありこのりょうけのみふかなりかわのうえはきたたきとて
三 四丈 落 ル多きなり此 山 中 紙 を春き木
さんしじょうおつるたきなりこのさんちゅうかみをすきき
をこ里て産 と春農 夫皆 太布をきる甚タ
をこりてさんとすのうふみなたふをきるはなはだ
能深 山 なり
のしんざんなり
(大意)
略
(補足)
「後ロ帯」、『うしろおび【後ろ帯】① 帯を後ろで結ぶこと。後ろで結んだ帯。近世前期から町方の娘や若い嫁の地味な風俗。嘉永(1848〜1854)の頃から一般化した。
② 未婚の女性。娘』。これに対して『まえおび まへ―【前帯】帯を前で結ぶこと。また,前で結んだ帯。近世,元服後,多くは既婚の女性の風俗。のち,遊女の風俗となった。かかえ帯』。TVなど時代劇ではなぜか、後ろ帯ばかりで、吉原の遊女だけは前帯となっています。
「沖津」、興津。江漢さんは思い込みの激しそうな方のようなので、興津・江尻・府中の位置関係を確かめておきます。何回か前のBlogで富士川を境に庵原郡と冨士郡の地図を載せました。
駿河湾主要河川の図。
興津・江尻・府中宿の図。
「木をこ里て」、『こ・る 【樵る・伐る】山に入って木を切り出す。「木ヲ―・ル」〈日葡辞書〉』。木樵(きこり)の樵るです。
こんな人里離れた山奥のところで紙を漉いていたなんてとおもわれるかもしれません。農家というとすぐに米を連想してしまうのは、どうやら間違っている思い込みのようで、当時、とにかくなんでも栽培して生産できるもの、茶・果物・根菜類・楮苧(紙の原料)・煙草・大豆・胡麻・稗粟などなど自給自足が原則で、余ったものは近所同士で物々交換、さらに豊かになってくると、近場で開かれる市で売って現金収入をしていたようです。
「三四丈」、一丈は約3.03mなので9.1m〜12.12mの滝。
「太布」、『たふ【太布】楮(こうぞ)・科(しな)の木などの皮の繊維をつむいで地機で織った粗い織物。労働着に用いられた。四国の山間では近年まで産出。栲布(たくぬの)。ふと布』。
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