2024年12月26日木曜日

江漢西遊日記一 その43

P48 東京国立博物館蔵

(読み)

廿   三 日 天 氣画を二三 紙描ク酒 肴 を出し

にじゅうさんにちてんきえをにさんしかくしゅこうをだし


兄  弟 不離  して話 シス晩 方 裏 口 より出で

きょうだいはなれずしてはなしすばんがたうらぐちよりいで


田畑 ヲ隔 て蓮 華寺と云 アリ池 あり其

たはたをへだてれんげじというありいけありその


堤  尓能ほり酒 茶 菓子等 取 よせ楽  武

つつみにのぼりさけちゃかしとうとりよせたのしむ


廿   四 日天 氣暑 を催  しアツシおらん多゛風 の

にじゅうよっかてんきしょをもよおしあつしおらんだ ふうの


画ハ蝋 油を以 テ彩 色 を春故 尓光 澤 ありて

えはろうゆをもってさいしきをすゆえにこうたくありて


真 物 の如 しと云 个連ハ兄  弟 頻 リ尓請(カフ)故 ニ

しんぶつのごとしといいければきょうだいしきりに  こう ゆえに


描(カゝ)ン事 を約 ス然  尓府中  尓暫  ク滞 留  のうち

  かか んことをやくすしかるにふちゅうにしばらくたいりゅうのうち


長 崎 の方 へハ参 ルまじとて蝋 画其 外 地球

ながさきのほうへはまいるまじとてろうがそのほかちきゅう


の図其 餘 蘭 物 皆 江戸へかえさんとて

のずそのほからんぶつみなえどへかえさんとて

(大意)

(補足)

「廿三日」、六月廿三日。西暦1788年7月26日。

「蓮華寺と云アリ池あり」、ネットに『この池は、今から400余年前に人の手によって造られた人工池なのです。当時、付近の村々では、瀬戸川から水を引いて農業を行っていましたが、用水の末端部に位置する五十海・市部村は水の確保に大変苦慮していました。二つの村は農業用水を確保するため、現在の公園周辺を村域としていた若王子村と共同で、慶長15(1610)年から3年の歳月をかけて、若王子村の一部の田畑をつぶして堤を築き、ため池を築造しました。この「ため池」が現在の『蓮華寺池』です』とありました。 

「蝋画」、蝋油画ともいい、荏油(えあぶら)を顔料に混ぜる油彩画。現在も残る代表的な作品はこの西遊後に次々と出来上がった、とありました。

「地球の図」、この図は大槻玄沢が蘭医ストッツルから江戸で得た、アムステルダム版「東西半球図」を一時借りていたのかもしれない、とありました。しかしそれほど貴重なものを道中で持ち歩くでしょうか。模写したものだったかもしれません。

 晩方に、池の土手上で酒・菓子を楽しんだとあります。お天気は寒くないですから大丈夫とはおもいますけど、虫や蚊はどうしたのでしょう、それに真っ暗の中で蝋燭ともしての宴会でしょうかねぇ。

 

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