2023年12月11日月曜日

人間一生胸算用 その21

P8 国立国会図書館蔵

(読み)

ある日無二郎 寺 まいりの

あるひむじろうてらまいりの


可へるさ両  ごくへんを

かえるさりょうごくへんを


とをり个る尓

とおりけるに



可ふ

こう


与り

より


げい

げい


しや

しゃ


来 り个れハ

きたりければ


目ハ多ちまち

めはたちまち


これをミつけてま与い

これをみつけてまよい


ミゝハ可れ可゛三 味せんを

みみはかれが しゃみせんを


きゝ多可゛りきを於多゛て

ききたが りきをおだ て


个れハ氣ハぐ川とこれ尓のり

ければきはぐっとこれにのり


心  尓すゝめ个れども心  ハきつと

こころにすすめけれどもこころはきっと


志ん本うして中\/

しんぼうしてなかなか


可゛てんせ須゛

が てんせず

(大意)

 ある日、無二郎が寺前りの帰り、両国あたりを通ったときのこと、

向こうより芸者がやって来た。目はすぐにこれをみつけてクラっとし、

耳はこの芸者の三味線をききたがり、氣になんとかしてくれまいかと頼むと

グッとその気になって、心に勧めてみたが、心はかたく辛抱して

なかなかみとめてくれなかった。

(補足)

「寺」のくずし字は「ち」のような「る」のようなかたち。

「可へるさ」、(帰るさ)。調べてみるとありました。『〔「さ」は接尾語〕

帰る時。帰る途中。かえさ。「―に妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾(ひり)ひて行かな」〈万葉集•3614〉』

「両」のくずし字は「ち」の中に「α」のようなかたち。

「ミゝハ可れ可゛」、「ミ」が「手」のようにみえますが、ミスだとおもいます。

 氣も目も耳も、無二郎の中に住んでいるためか、みな裸足です。

 

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